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   続・高湯温泉(下) 埴谷雄高(はにや・ゆたか)
【12月6日掲載】

笠井 尚
(喜多方市)
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埴谷雄高
 
 
 埴谷雄高(はにや・ゆたか) 
明治43(1910)年台湾生まれ、平成9(1997)年死去。小説家、評論家。孤独な獄中体験を経て、戦後は近代文学派同人。「一種ひねくれた論理癖が私にはある」というのを武器に、果敢に難解な小説を発表した。代表作は『死霊』。

 

乳白色の幻想の世界
埴谷雄高が滞在した玉子湯の露天風呂。乳白色の霧の描写からはじまる「死霊」のシーンと重なる情景
 埴谷雄高の『死霊』の世界と、福島市の高湯温泉の霧深い光景とは、重なり合うのではなかろうか。

 旅館玉子湯の後藤省一社長から埴谷の色紙を見せてもらった。「玉子湯に遊びて」という一言を添え、「49年8月19日」という年月日と、自らの名前をしたためただけではあったが、第5章「霧のなかで」は、乳白色の霧の描写からはじまっているからだ。

 「霧…。見渡すかぎりさらに一面の乳白色の霧であった。それはあらゆるものを覆い隠して果てもなく乳白色に拡がった幻想的な霧であった。そのなかには寂寞せきばくがかくれ、限りない変容が埋もれていた。湿気をふくんだ小さな乳白色の粒子は絶えまも

なく湧き起り、1つの幻想的な層となって揺れ漂い、1つの果てもない強大な坩堝るつぼのなかで撹きまわされるように、湿った大気は一面に湧きかえっていた。あらゆるものの形をのみこんで厚く垂れこめた。その霧のなかをただ1つ三輪与志の影が進んでいた」

 登場人物の1人である、三輪与志の影が曲がりかけた、その方角から1つの影が現れ、扇形の橋を渡り切ると、「その向う側のはずれで忽たちまち2つの影に割れたように見えた」という幻想性のなかで、急転直下、場面が変わる。

 突然、与志と異母兄弟の首猛夫、与志の婚約者津田安寿子の父親で、元警視総監の康造の2人が現れて、陰謀型と叛逆型の定義に関して語り合うのだった。

 その小説では、死霊の刻印をおびた者たちが、次々と論争を繰り広げる。夜霧がたちのぼることで、存在の輪郭が不明瞭なことで、現実ではないことを予感させつつも、孤独な魂のぶつかり合いは壮絶である。

 埴谷の本籍は、小高町である。先祖は相馬藩の藩士で、明治4年の廃藩置県によって、山林や田畑をもらって、小高町に住むことになったという。

 しかし、祖父の一代で無一文となり、父親が台湾の精糖会社で働いて、ようやくそれらの財産を取り戻すことができた。

 父親は、自らのルーツにこだわりを持っていたようで、晩年になってからは、東京の妻子と離れて、自炊して一人で暮らした。

 埴谷は、そうした父親について、同情的に語っている。東北出身者として、薩長閥の人間に庇護され、一時は警部にまでのぼりつめた。その人の娘と結ばれたという過去があったからだ。
 籍を入れないままに別れたために、埴谷の母親もそのことを知らされていなかった。

 「はじめ親父はけしからんやつだと俺は思っていたんだけれども、夏休みに田舎で2人ですごすうちに、その孤独の内容がいささかわかってきた。自己追放の念とか故郷の愛着の念ばかりでなしに、自分の一生におけるいろんなことをひとりで思い返してみる想念の形がね」(『大岡昇平・埴谷 雄高二つの時代史』)。

 肉親の孤独感の底を垣間見た埴谷は、昭和7年5月から翌年11月まで、豊多摩刑務所の未決囚の独房に収監された。

 農民運動に携わっていたので、情け容赦なく弾圧されたのだ。そこで手にしたのが、埴谷の独自の思想であり、それを小説にしたのが『死霊』なのである。革命や革命家にこだわるのは、自分がそこに身を投じた日々があったからだ。

 灰色の壁に囲まれた小さな孤独な部屋で、外の世界と隔絶され、自らの世界に沈潜する以外になかった。

 福島県に縁がある作家たちのなかでも、埴谷は、異色である。国家の廃絶を願い、数億年後の人間を書こうという夢は、スケールが違う。

 霧深い高湯温泉は、埴谷雄高の文学的原風景であり、乳白色のなかで、いろいろな影が動き回り、ささやきあっている声が聞こえてきそうだ。(おわり)
 


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