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蒜は、ネギ・ニンニク・ノビルなどの古い名前。雪が残っていても、生命力にあふれたそれらの葉が土の下から出てくる。若い葉がどのように伸びていこうとも、もはや口をはさむことができない。師にそむく若者を、仕方なく認めるしかなかった葛藤(かっとう)を歌にしている。
雲間にかゞふ蒜の葉 若ければ、我にそむきて行く心はも
朝風に、粉雪けぶれるひとたひら。會津の櫻 固くふゝめり
會津嶺あいづねに ふりさけゝぶる雪おろしを 見つゝ呆あきれたる心とつげむ
屋の上は、霜ふかゝらむ。會津の山 思ひたへ居り。夜はの湯槽に
折口の教え子であった梶喜一が東山温泉に近い精錬所にいて、「これが私の言ふまゝに、鹿児島にゐる若者の為ために、必要な若干の金を出してくれたのである」(「折口信夫自歌自註」)
会津地方は、ようやく雪解けの季節を迎えつつあったが、少し風が吹くと根雪や新雪が煙のように立った。道端の桜も、まだまだ蕾つぼみが固かった。
また、折口は磐梯山からの山おろしに乗って嶺みねの雪が降ってくるのを眺めていて、その光景を鹿児島の若者に告げようと思ったのだった。
日にちははっきりしないが、東山温泉で梶と一緒だったことを折口は書いている。
「其晩そのばんは、若死にした梶喜一といふ青年と、東山温泉に泊まった。東山も此時分このじぶんは、まだまだこんな静かな家もあった。我々は湯槽につかってゐる。掻(か)き落された雪に代ってふる、今夜の霜の深さがしみじみと感じられる。私は湯の中で、ぢっと目をあいてゐた」(「折口信夫自歌自註」)
梶という会津の青年は、師のためになけなしの金をはたいたのである。師の不甲斐ふがいなさを指弾せずに、受け入れたのは、折口の孤高な生きざまに共感していたからではなかろうか。
「海やまのあひだ」には、「供養塔」という連作もある。そのなかでも、心にしみるのは、次の一首である。 人も 馬も 道ゆきつかれ死にゝけり。旅寝かさなるほどの かそけさ
折口は日本のあちこちを訪ね歩いた。そして、本道ではなく間道には、いたる所に行路病者の古い、新しい墓があるのを見た。さらに、馬が倒れた山道には、馬頭観音の石塔婆が立っている。人の世のはかなさが伝わってくる歌である。
「わが父にわれは厭(いと)はえ、/我が母は我を愛(めぐ)まず」と詩「幼き春」に書いた折口は、旅の途上で亡くなった者たちに自らを重ねた。帰るべき場所を持たない者にとっては、先を急ぐしかなかったからだ。
折口が東山温泉で梶に助けられたことも、遠い遠い昔の出来事になってしまったが、師を危ぶむ若者がいたのを忘れるべきではないだろう。
折口は中学時代に二度の自殺未遂事件を引き起こしている。折口は精神的な危機に直面していたのであり、梶は物心両面で手を差し伸べたのである。
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