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   熱塩温泉(下) 山口瞳
【11月24日掲載】

笠井 尚
(喜多方市)
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山口 瞳
 
山口瞳(やまぐち・ひとみ) 大正15(1926)年東京生まれ、平成7(1995)年没。小説家、随筆家。「江分利満氏の優雅な生活」で直木賞。週刊新潮に「男性自身」シリーズを32年間にわたって連載。ユーモアのなかに哀感がこもっていた。アのなかに哀感がこもっていた。

 

人の泣き笑い伝える
武者小路実篤、川端康成など文人数百人の筆・すずりなどを納めた筆塚(笹屋本館の敷地内)。山口瞳も訪れている  
 週刊新潮を私が定期購読していた時代があった。山口瞳が「男性自身」を連載していたからだ。

 世の中どこを見渡しても、あの当時は眉(み)間(けん)に皺(しわ)を寄せた高尚な議論ばかり。そんななかで、山口は等身大の意見をサラリと言ってのけた。背伸びをせず、さりとて時流に媚びなかった。

 「労働者の味方です」と言いながら、読みにくい字を平気で書く、そうした左翼作家を皮肉った。
  

  原稿の活字を拾う文選工や植字工の仕事に影響が出るのを黙っていられなかったのだ。拾う方からすれば、収入も減ってしまうし、たとえ歩合制でなくても、愉快ではない。 

 山口が熱塩温泉にやってきたのは、昭和58(1983)年1月7日のことであり、「熱塩温泉」というエッセーを残している。山口がへそ曲がりのせいか、さもなければ、糖尿病のせいか、「温泉に行く」と言っても、どことなく気乗りがしなかったようだ。運が悪いことには、入れ歯が割れていたので、なおさら機嫌が悪かった。

 大宮駅から午前11時発の東北新幹線「やまびこ19号」に乗車して、1時間10分で郡山着。そこで磐越西線の「ばんだい5号」に乗り換え、午後2時には喜多方到着。

 日中線で熱塩温泉に向かう前に一悶着ひともんちゃくがあった。入れ歯を持って歯科医院に立ち寄ったら、どこでも相手にされなかった。

 「旅の者が難儀しております。お願いします」では、かえって反発されるのに。「旅の者なんて言うからいけない。余所者よそものには冷たいところなんです」と同行した新潮社社員のスバル君も、不機嫌気味。

 それでも、山口は、まだ廃止されていなかった日中線をことのほか気に入った。

 「本来、鉄道とはこういうものではなかろうか。板張りの内部のその板がピカピカに光っている。ドアの把手とっての真鍮しんちゅうもしかり。鉄道員の愛情がむんむんしている。鉄道マニアなら狂喜するだろう。沿線の無人駅が、これまたいい」

 山口が泊まった宿は、笹屋本館である。熱塩駅に迎えにきてくれたのは、主人の鈴木修悦さん。「僕が旅館に望む最大のものはインチメイトな感じである。これさえあれば他は目をつぶる」と山口が書いているだけあって、宿には満足した。

 鈴木さんの息子を、女中さんは「健ちゃん」と、また健ちゃんは、女中さんの一人を「セッちゃん」と呼ぶ。山口に言わせると、それがいいのである。

 次の日は、健ちゃんの車で喜多方へ。女中さんが、「釣道具屋の接着剤は、よく粘ります」と教えてくれたので、早速出かけた。

 釣道具屋で奇跡は起きた。入れ歯がくっ付いたからだ。途端に山口は機嫌がよくなった。「喜多方の人はいいな」とベタ褒めである。漆器店で買った茶托ちゃたくも、「素朴でいい味だ」と絶賛。木地職人から棗なつめの木地2個、夫婦めおとの漆椀うるしわんを頂戴ちょうだいしたからなおさらだ。

 元気が出てきた山口は、熱塩に引き返すや、健ちゃんにマイクロバスを出してもらい、熱塩駅をスケッチした。至れり尽くせりである。そして、日中線の午後4時30分に到着する列車を待った。

 「日中線623列車。その第一次廃線候補のディーゼルカーが喘あえぎながら雪を押し除けて迫ってくるのを見たとき膝頭ひざ)(がしらが慄ふるえ胸が詰り、僕は涙を流した」という健気けなげな気持ちになったのは、「言うことなし」の旅であったからだろう。

 人騒がせな旅人であるが、作家先生というよりは、どこにでもいるような、ありふれた人間の泣き笑いが伝わってくる。そのドタバタ劇で山口は、「インチメイト」な熱塩温泉のよさも宣伝してくれたのである。(次回12月1日からは東山温泉です)

 


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