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ドナーと家族 22(2006.06.23)
移植を受けた友人とともに、ハリソンさん夫妻と再会した広川さん(中央)=05年、都内で開かれた生命・きずなの日席上で

転機となった出会い/患者らを支える広川さん
  「会えて良かった。長い間、重荷を感じていたのかもしれないと気付かされました」。県腎臓協会のコーディネーター、広川陽子さんが5年前の出会いを振り返り、静かにほほ笑んだ。
 広川さんは尚志高の生徒だった1993(平成5)年、長年患っていた胆道閉鎖症が悪化し、移植しか助かる道がないと診断された。佐藤信校長(当時)や同級生らの募金活動でオーストラリアに渡り、脳死の臓器提供者(ドナー)から提供された肝臓を移植した。
 帰国後、広川さんは「この経験を生かしたい」と看護師の資格を取得。現在はコーディネーターとして、患者や家族を支えている。
衝撃的体験に沸いた疑問
 就職して間もない99年6月。宮城県で脳死ドナーが現れた。福島医大で腎臓移植を行うことになり、広川さんは医師とともに隣県から臓器を運んだ。しかしこの時、衝撃的な体験をする。病院や駅で待ち構えるマスコミのカメラの放列。新幹線の指定席までマスコミが取材で入ってきた。
 「1人の人間が亡くなられたことは厳粛なこと。臓器提供に同意したご家族は報道を見て、後悔してはいないだろうか」。広川さんに大きな疑問が沸いた。自分の存在を受け止められないような感覚も持った。
 そんな思いの中で迎えた01年。日本で初めて第13回世界移植者スポーツ大会が神戸市で開かれ、広川さんは選手として出場した。
 「私のドナーさんの国、オーストラリアも応援したいな」。広川さんがオーストラリアの応援席に座ると、1人の男性が声を掛けてきた。オーストラリアのグラハム・ハリソンさんだった。ハリソンさんは10歳の息子の臓器を提供したドナー家族で、妻と来日して選手を応援していた。期間中、広川さんとハリソンさん夫妻は何度も顔を合わせ、会うたびに話が深まっていった。
命をしっかり抱きしめて
 「移植を受けた方の元気な姿を見ることで、私たちは『臓器提供は正しかった』と思えるんだよ」とハリソンさんが気持ちを語った。そして広川さんの迷いを見透かしたかのように「ヨーコ。あなたは、あなたの命を両手でしっかりと抱きしめて生きていっていいんだよ」。
 「あなたは生きていきなさい」。優しく励まし、抱きしめてくれるハリソン夫妻の言葉に、広川さんは涙が止まらなかった。
 05年、ハリソンさん夫妻と広川さんは「生命・きずなの日」の席上で再会した。交流は国境や言葉を超えて今も続いている。
=第2部おわり
 
 


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