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ドナーと家族 |
|17|(2006.06.17)
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| フラミンハム・ステート・カレッジに造られた「朝子の記憶の庭」。間沢さん一家と親交の深い大学広報部長のストーチさんが案内してくれた=同カレッジ |
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朝子が懸けた橋渡る/大学に「記憶の庭」誕生
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「二度とアメリカには行かない」。そんな気持ちが微妙に変わってきたのは、帰国1年後のころだ。1998年春にフラミンハム・ステート・カレッジは朝子さんに名誉学士号の授与を決定した。
留学生では初で、父の間沢洋一さん、母容子さん、妹の広子さんの一家3人はその年の5月、現地の授与式典に出席した。
さらに同年、OPO(臓器調達機関)のアルバートさんらから「6月のドナー家族に感謝する会に出席を」と連絡を受けた。驚くべきことに、朝子さんの肝臓を移植した女性の患者が会いたがっているという。洋一さんは「その方が求めるのなら」と回答した。
移植した女性と抱き合う
静かなホテルの一室で間沢さん一家は女性と対面した。とっさに言葉が出なかったが、自然にお互いに歩み寄り抱き合った。感謝と感動、悲しみと寂しさ。すべての思いを共有するにはそれで十分だった。99年4月には大学に「朝子の記憶の庭」が造られた。ボストンは3人にとって、とても大切な場所になった。
交流が深まり、「お姉ちゃんが懸けた橋をみんなが次々に渡ってきてくれているね」と広子さんが洋一さんと容子さんに語りかけた。洋一さんは朝子さんへの思いを「朝子 生命のかけ橋となって」(ポプラ社)として出版した。
その後、日本臓器移植ネットワーク主催のドナー家族の会に出席した間沢さん一家は、日本ではドナー家族への支援が不十分だと実感した。「アメリカでの経験が役立つなら」。そんな気持ちで2000年に数家族で「日本ドナー家族クラブ」を発足。毎年5月17日を「生命・きずなの日」とし、命や人と人のきずなの大切さを考える催しを開いている。洋一さんは、臓器提供を進めたり脳死を考えることよりも、命の大切さを考える活動を重点にしたいという。自分は脳死を認めて提供したが、人により考えはさまざまだからだ。
ギフト・オブ・ライフ
「ギフト・オブ・ライフ(臓器提供)では、受け入れがたい家族の死と臓器提供が同時にやってくる。喪失感に苦しみ、後になって葛藤(かっとう)を抱くことがある。私も二年間は『死』という言葉が言えなかった。それでもいろんな人に支えられて、後になってギフト・オブ・ライフの意味が分かった」
応援してきたドナー家族が、悲しみや苦しみを乗り越えていく姿がうれしくて活動を続けているという。悲しみは癒えない。それでもわが子の誇りを胸に、前を見よう。静かな決意が横顔ににじんだ。
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