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移植医療の現場 |
|24|(2006.08.17)
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| 子どものころの病気がきっかけで会った医師にあこがれた加藤医師。医学部卒業後、手術の多い外科医の道を歩みはじめた(加藤医師の手術風景) |
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「人の命救う医者に」/東大卒業後阪大医学部へ
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昨年12月、神達彩花ちゃん=当時(1つ)、5月に死去=の5臓器移植を執刀した米フロリダ州のマイアミ大移植外科の加藤友朗医師が医師を志したのは小学生のころ。ヨウレン菌の感染からリウマチ熱を発症。最近はまれだが、以前は急性腎炎や心臓弁膜症という深刻な症状を引き起こすことがあった。
地元の総合病院で「病院第1号」の心臓超音波器検査を受けた。心臓弁膜症の疑いで長期間ステロイド剤(副腎皮質ホルモン剤)を飲み、副作用で顔が丸くなる「ムーンフェース」になった。次々に会う医師が頼もしく、あこがれを抱いた。
気持ちが変化したのは中学生の時。分子生物学者のおじからDNAや生命のメカニズムの話を聞き、すっかり夢中になった。やがて医者ではなく分子生物学者になろうと決意。東大の理科2類に入学した。
分子生物学者の道に違和感
ところが大学で学び始めると「なんだか違う」と違和感を覚えた。顕微鏡でタンパク質を見たり、実験用マウスを扱うような世界は、自分が本当にやりたいこととは違うのではないか。クラシック・ギター部でバッハをつま弾き、オートバイを駆る学生生活を送りつつも、進路に関しては長い迷路に入り込んだような日々が続いた。
そんな中で子ども時代の体験がよみがえってきた。「やっぱり、人の命を救う医者になりたい」。1年留年し、在籍していた薬学部から医学部に転部を試みるが実現せず、そのまま卒業。医学部の学士入学制度があった大阪大医学部に入学した。
それまでは真剣に「医者になるんだ」「学ばなければ」という意識は強くなく、まじめな方でもなかったが、意識が変わったのは病棟実習と解剖実習の時だった。解剖実習は、亡くなった方が「医療の発展のために」と大学に提供してくれた遺体(献体)を医学生が解剖し、人体の構造や機能をじっくりと学ぶ授業だ。「特別な世界に足を踏み入れた」と実感した。
卒業後の診療科を選ぶ際、外科を志望したが、「心臓に病気があったら外科はできない」と検査を受けた。その結果、心臓弁膜症ではなかったことが判明。希望通り外科に進んだ。
その後、兵庫県の伊丹市民病院の研修医となり、同期の医師たちと飲んだ時のこと。杯を傾けながら、ふと受け持ちの患者の血液のカリウム値が気になった。「患者さんを診たいから病院に帰る」。加藤医師が席を立つと仲間がみな驚いた。「お前、変わったなあ」。その後加藤医師は、誰も歩まない道を進むことになる。
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