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移植医療の現場 26(2006.08.19)
異色の移植外科医、加藤医師

異色ずくめの外科医/米国から母国医療に提言
  「ハーイ、ドクター・ケイトー(Kato=加藤)」。加藤友朗医師(42)がジャクソン記念病院の病棟に姿を現すと、職員や患者、家族が次々と声を掛ける。加藤医師は普段病院で白衣を着ない。医師の多くが左胸に名前と肩書が入った白衣を着るが、加藤医師は淡い青やピンクのシャツ姿。子どもたちを怖がらせないよう、できるだけ白衣を着ないようにしている。
 「ハーイ。グッド・モーニング」。加藤医師を先頭に移植チームが回診で赤ちゃんの病室に入ってきた。大勢の大人の姿に、赤ちゃんは驚いて泣きだした。すると加藤医師は赤ちゃんのほおを優しくなでながら「泣かないで。私の名前はドクター・リカルド。驚かしたのはケイトーじゃないよ」。加藤医師が冗談で別の医師の名前を言うと、看護師らがどっと笑った。すると泣いていた赤ちゃんも笑い声と笑顔に包まれて、安心した表情を見せた。
 「異色ずくめの医師」とはこの人のことかもしれない。日本では研修後に大学の医局に戻らず、研修医(フェロー)で同病院に入った。臓器提供者(ドナー)からの臓器摘出手術と移植手術を年間200件から300件こなし、現在は大人よりも難しいと言われる子どもの移植手術を中心に担当。小児移植外科のトップを務める。
たった1人で啓発活動
 「異色」はそれだけではない。日米を行き来しながら、日本で臓器移植医療の理解を図ろうと、たった1人で啓発活動を続けてきた。
 2003年には、マイアミ大で心臓移植を受けたプロゴルファー、エリック・コンプトンを日本のツアーに参戦させようと奔走。コンプトンの成績が上がって別のツアーへの参加が決まったために来日は実現しなかったが、関係者の関心を集めた。05年には書き下ろしノンフィクション「移植病棟24時」(集英社)を出版、移植医療の様子を自らのペンで伝えた。
 米国の移植医療の最前線に立ち日本人の患者を受け入れてみれば、母国・日本の医療の思わぬ現実が透視できた。日本国内では法律の壁とドナー不足で移植の機会が限られてしまう。移植を受けられずに死に直面した状態で渡米する赤ちゃんたち。手術ミスで内臓に障害を負い、移植に最後の望みを託す男性。医療・保険制度も言葉も違う米国のマイアミで仕事をし、暮らしながら、遠く離れた日本の医療と患者をみている。
 「僕が手術することで助けられるのなら、何人だって手術する」。それが自分に立てた誓いだ。
 
 


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