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  【 「伊能忠敬測量隊」東北を行くTOP 】
>>> 国宝指定と伊能図発見の経緯 <<<
 
 日本地図、創始者に脚光


 昨年、文化庁は、伊能忠敬(いのうただたか)の「大図」「中図」「小図」などの地図や絵図、書状や測量器具、天文学の文献を書写した典籍、忠敬が全国を測量して記した「伊能忠敬日記」など2345点の関係史料を国宝に指定した。これらの史料は伊能家から千葉県香取市の伊能忠敬記念館に寄贈され保管されている。

 文化庁は、伊能関係の史料の選定理由について「江戸時代に全国を高い精度で測量した忠敬の地図制作の具体的な方法を知ることができる。高い学術的価値とともに人物像を伝えている点でも価値が高い」と指定の理由を説明している。

 江戸時代の測量家で、近代日本地図の創始者である忠敬の業績が高く評価され、うれしい。

 2001年、伊能忠敬研究会の名誉代表・渡辺一郎氏がアメリカ・ヨーロッパのマスコミに呼び掛け海外に流出した「伊能図」の所在を確かめた。そしてアメリカ国会図書館の地下から埃(ほこり)をかぶった「伊能大図」を発見した。

 また、フランスのパリ郊外に住む元国立高等農業専門学校教授イブ・ぺイレ博士の別荘の屋根裏から「伊能中図」が発見された。

 伊能図の海外流出は幕府天文方の高橋景保よりオランダの医師で自然監察官のシーボルトが譲り受けたカラフト地図が知られている。 

 1828(文政11)年シーボルト事件が起こった。蘭学(らんがく)者で医師のシーボルトの長崎からオランダへの帰国船にあった日本地図、カラフト地図、葵(あおい)文の羽織、武具などのご禁制品が多数押収された。翌年、シーボルトは国外追放になったが、シーボルト事件以前にすでに流出していた伊能図がある。

 シーボルトが帰国前にオランダに持ち帰った史料はライデン大学資料館に保管されている。

 ヨーロッパにある「伊能図」の中には箱館戦争の降伏のときに、伊能忠敬の弟子・箱田良助の次男の榎本武揚(幕府海軍副総裁)が戊辰(ぼしん)戦争最後の戦いとなった箱館五稜郭(ごりょうかく)でフランス軍事顧問団ブリュネ大尉に渡したものが知られている。ブリュネ大尉は後にフランス陸軍の大将になっている。

 戦争では正確な地図が必要だ。榎本は江戸城から伊能図を箱館五稜郭に持ち出し、戦闘に備えたのだろう。ペイレ博士が所有していた「伊能中図」はフランス軍事顧問団が日本からの土産として自国に持ち帰った伊能図かもしれない。

 (伊能忠敬研究会幹事・東北支部長)


「伊能忠敬測量隊」東北を行く

松宮 輝明

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伊能図に描かれた会津街道と猪苗代湖

2011年1月12日付
福島民友新聞に掲載
 

 

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