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 アメリカで「大図」発見


 今回の国宝指定の史料は、焼失を免れた伊能図の副本や大名家などに保管されていたものだ。

 伊能図には正本、副本(控本)、写本がある。正本は天文方が幕府に提出した地図で明治政府の大政官内「紅葉山文庫」に保管されていたが、1873(明治6)年、皇居の炎上により、焼失してしまった。

 また、1923(大正12)年の関東大震災により東京帝国大学に保管されていた伊能図(伊能家の控図)の大部分も焼失してしまった。国宝指定により全国から新たに伊能関係の史料が発見されることが期待される。

 伊能図の中で最も大きい地図は、アメリカで発見された「伊能大図」だ。伊能大図は217枚より構成され、地図一枚は縦2メートル、横1メートルで畳一枚の大きさとなる。全ての地図をつなぎ合わせると日本全図の大きは縦横50メートルになる。

 伊能大図は江戸城五百畳敷きの大広間に広げ、十一代将軍徳川家斉に上覧したことが知られている。江戸城の大広間でも約半分しか広げられなかったといわれている。

 伊能大図の一つに、象潟湖と鳥海山が描かれているものがある。伊能測量は1804(文化元)年の象潟地震の直前であり、現在は乾陸化していて、象潟湖の当時の状況を見ることができる。鳥海山も噴火し象潟湖の小さな島が多数描かれているが、泥流の溶岩であろう。200年前の姿を知ることができる、歴史的な図面である。

 伊能大図作成の目的はどこにあったのだろうか。これほどの大きさの地図を広げる場所も無く、幕府天文方は自分たちの立場を誇示するために制作し、将軍に上覧したのではないかといわれている。

 伊能忠敬は五十歳を過ぎてから天文学を学び五十五歳を過ぎ、全国の測量を開始した。第一次測量から第十次測量まで17年間かけて北は蝦夷(えぞ)地、南は種子島、屋久島、東は八丈島、西は佐渡ケ島・壱岐、対馬、五島列島など日本全土を測量した。そして日本全図を完成させた。現在知られている伊能図だけでも385種ある。

 伊能忠敬が最初に目指した測量は何であったのだろうか。それは「自分の手で地球の大きさを測ること」だった。 

 すなわち、地球の子午線の長さを測ることだ。そのころ、幕府天文方の高橋至時らの暦学者は、緯度一度の長さがどれくらいあるかを学問上の大きな問題としていた。緯度一度の長さを360倍すると地球の大きさになる。

 緯度一度の南北の距離については、30里・25里など諸説があり、いずれも実測に基づいたものではなかった。緯度一度の長さが確定しなければ、地球の大きさも測れないわけで、これは暦学上の大きな問題であった。

 (伊能忠敬研究会東北支部長)


「伊能忠敬測量隊」東北を行く

松宮 輝明

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象潟湖と鳥海山が描かれた「伊能大図」

2011年1月19日付
福島民友新聞に掲載
 

 

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