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 地球の微動解明「Z項の式」


 第2次測量隊はリアス式の三陸海岸線を測量した。藩政時代の唐丹(とうに)村(現岩手県釜石市唐丹町)の藩境には仙台藩と南部盛岡藩の各々(おのおの)の番所がおかれた。伊能測量隊は三陸沿岸を北上する途中、1801(享和元)年旧9月23日、唐丹村に到着し、西村善太郎宅に宿泊した。この日は風雨のため、やむなく善太郎宅にもう一泊し天体観測をした。翌24日の夜、恒星の位置を観測して、唐丹村での北緯の度数を、北緯39度12分と定めた。

 数値は正確で、伊能測量隊の精度がいかに高いかが分かる。唐丹村の天文学者、葛西昌丕(まさひろ)は忠敬に「先生の測量は正確ですか」と尋ねた。忠敬は「もちろん正確な値です。しかし将来訂正される時が来る。それは地球が微動しているからである」と答えた。

 釜石市唐丹町に『陸奥州気仙郡唐丹村測量之碑』と『星座石』とがある。どちらも、昌丕が1814(文化11)年秋に建立したものであった。昭和60年に岩手県の文化財に指定された。唐丹村測量の碑文には伊能忠敬の名を明記し、忠敬の測地を記念する文面、先の第1次測量の業績に触れている。碑文には謎の文言がある。『西洋の学説では、いわゆる地球の微動というものがあるといわれているが、そんな事実があるのだろうか。願わくば、後世の人々がそれを解明してほしい』という伊能の一文である。

 忠敬の科学の謎めいた文言『いわゆる地球の微動あらざらんか』と文言は何を意味するのであろうか。近くにある星座石と測量之碑との関連について、昌丕が一体なにを意図して設置したのか、科学史上究明されなければならない謎であった。この言葉を碑に刻んだ昌丕は天文、地理、国学、書道を研鑽(けんさん)して医術にも優れた人物であった。

 後に明治の天文学者・水沢緯度観測所の初代所長・木村栄博士が「Z項の式」を発見し地球の微動を解明した。木村博士は東京帝国大学に新設された星学科を首席で卒業し、27歳の若さで水沢の所長となった。宮沢賢治の原作『風の又三郎』にも登場する。

 木村博士の「Z項の式」とは、地球内部のマグマが流動し太陽と月が共鳴し地球が微動することを解明した式である。1937(昭和12)年、木村博士は「Z項の式」の発見の功績により第1回の文化勲章を受章している。

 (伊能忠敬研究会東北支部長)


「伊能忠敬測量隊」東北を行く

松宮 輝明

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碑文に残る謎の文言
釜石市唐丹町の「陸奥州気仙郡唐丹村測量之碑」と「星座石」(釜石市教育委員会提供)

2011年3月9日付
福島民友新聞に掲載
 

 

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