【維新再考・識者に聞く】中村彰彦さん(2) 差別を生んだ順逆史観

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 賊軍の汚名を背負った会津藩の正当性を主張する作家の中村彰彦さん。第2回では「逆賊を滅ぼしたのが戊辰戦争」という歴史観について迫っていく。

 国定教科書まで影響

 歴史は勝者によって書かれる。だから敗者の歴史は陰に埋もれて消えてしまう。

 戊辰戦争は長らく「正義の軍隊(官軍)が、逆徒である賊軍を討ち滅ぼし、近代国家・明治を成立させた」と定義付けされた。

 この場合、天皇に従順だったのか、天皇に逆らったのか―という単純な二元論でしかみていない。つまり、恭順か、反逆か、「順」と「逆」のいずれか、という考え方で、極めて狭く安い考え方といえよう。私は、こうした見方を「順逆史観」と呼んでいる。

 いまどき、こんな歴史観を持つ人はいない。だが、明治以降の問題点として、国が戊辰戦争を振り返ったとき、この順逆史観が正式見解だった。戊辰戦争に勝利した薩長側がつくり上げたのだ。だから「薩長史観」「官製史観」と言い換えてもいい。

 端緒は1867(慶応3)年10月、薩長側に下された偽勅とみられる「討幕の密勅」に起因する。そこには大政奉還を行った将軍・徳川慶喜を「賊害」「この賊」「賊臣」と3度も「賊」の字で表現している。

 さらに「会津宰相」(京都守護職の松平容保)と「桑名中将」(京都所司代の桑名藩主・松平定敬。容保の弟)の追討を命じる別の密勅には「幕賊」(幕府という賊徒)という言葉もある。これにより「会津、桑名両藩主は幕府を助けたのだから賊徒」との論理が展開された。

 日本人がそもそも持つ二元論の発想も影響している。例えば「源氏と平氏」「徳川と豊臣」などは各時代の対立概念として刷り込まれている。戊辰戦争の順逆史観も、戊辰戦争の勝者が生み出した宿命的な二元論にすぎない。

=この続きは、福島民友新聞社発行の「維新再考」保存版でお読みいただけます。

 ※「戊辰戦争」「明治維新」を新たな視点で問い直す長期大型連載「維新再考」は、引き続き福島民友新聞で毎週月曜日に掲載します。どうぞお読み下さい。

 ※「識者に聞く」第1部で掲載された中村彰彦さんの記事は、福島民友新聞社が発行した保存版で、お読みいただけます。

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 なかむら・あきひこ 1949(昭和24)年生まれ。栃木県栃木市出身。宇都宮高、東北大文学部卒。文芸春秋勤務を経て91年から文筆活動に専念。主に幕末・維新期の群像を描いた作品を執筆している。94年の第111回直木賞を受賞した「二つの山河」など会津に関する著作が多い。68歳。