【維新再考・識者に聞く】磯田道史さん(上) 強さ誇るが兵法古い

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いそだ・みちふみ 1970(昭和45)年、岡山市生まれ。慶応義塾大大学院文学研究科博士課程修了。専攻は日本近世社会経済史、歴史社会学、日本古文書学。国際日本文化研究センター准教授。著書は「武士の家計簿」「殿様の通信簿」「天災から日本史を読みなおす」「『司馬遼太郎』で学ぶ日本史」など多数。

 明治維新を本県の視点から検証する連載「維新再考」の第1部「識者に聞く」は、今回から歴史学者で国際日本文化研究センター准教授、磯田道史さんが登場する。会津藩、そして戊辰戦争で会津を破った薩摩、長州など各藩は一体どういう藩だったのか―を当時の資料を基に分析する。7月の福島商工会議所創立100周年記念講演「福島で幕末維新を語る」とインタビューを合わせ構成し、第1回は講演内容を掲載する。

 資料に残る会津像

 来年は明治維新から150年。来年の大河ドラマ「西郷(せご)どん」では私が時代考証の一人を務めている。それもあり「幕末維新とは何か」について話をしたい。ただ、いつも福島で語られる話はしたくない。戊辰戦争で会津藩を破った薩摩、長州はどういう藩だったのか。逆に会津藩が敗れた理由はなんだったのか。それを当時の人たちが残した生の資料を見て分析し、私たちが生きていく上でヒントを得られないかを話したい。

 私が今一番面白いと思う資料が「人国談」。ペリー来航の翌年の1854(嘉永7)年、諸国を巡り、あらゆる藩の情報収集をした「作州 無陰居士」という人物の記述を秘密裏にまとめた資料だ。

 それによると水戸藩35万石は「貧国なり」とある。理由は、藩主が地元に住まず、年貢が江戸屋敷に吸い上げられ、地元経済の成長をおさえた。徳川斉昭(第9代藩主)が攘夷(じょうい)を掲げ国家のため一生懸命頑張っているが、とにかく貧しい。これは重要な点で、明治維新に至る過程では豊かで政治の質が高い、その二つがそろった藩が力を増した。

 南部藩20万石は「不毛の地多く、人民少なし」。気候の厳しさをマンパワーではね返していた特殊な藩が、米沢藩15万石。経済政策が得意な藩で軍備は軽視。「国富む。武道はなはだ、つたなし」とある。

 会津藩23万石は、自ら強いと誇るが兵法が長沼流(松本藩士長沼澹斎(たんさい)が17世紀後半編み出した兵法の流派)で古いと指摘されている。一方、薩摩77万800石は尚武の国。芋を常食とする人もいる特殊性が語られ、外洋に面すため、外国侵略の危機感が強い。

 長門(長州)藩36万9千余石は文武が盛ん。水軍の歴史をもち、海防に関心が高い。会津は内陸で海防の切迫感が薩長ほどではなく軍備の西洋化が遅れた。海の有無が大きな意味を持った。