【維新再考・識者に聞く】磯田道史さん(中) 人づくりと「変通」で発展

  このエントリーをはてなブックマークに追加 

 歴史学者、磯田道史さんの「維新再考」は、今回から2回にわたりインタビュー形式で、幕末維新の歴史から学ぶべきことについて、磯田さんに聞く。今回は「人づくり」と「改革」について、磯田さんが会津藩の事例などを語りながら持論を展開する。

 ―連載「維新再考」は、明治維新について私たち現代人の多くが持っている固定観念を見直し、歴史に学ぼうという趣旨です。誤解を恐れず言えば「『薩長万歳』はおかしいでしょう」と。
 「薩長万歳も、会津万歳もおかしい。私はリアルな数字とか、証拠を見せながら、客観的に話す主義です」

 ―磯田さんが駆使するデータは本当に面白い。それを手掛かりに、私たちが幕末や明治の歴史を振り返ったとき、どんなことを学べばいいか。
 「人づくりというのが非常に重要です。経済も生活も、実は、人間の脳の中でできるもの。実は、現代の1人当たり国民所得を世界比較してみても、1850年のころの識字率の順位とほぼ同じです。幕末日本の全国平均の成人識字率は4割ほどでしょう。北欧が高く、日本がイタリアの上、ベルギーの下でした。今、1人当たりのGNI(国民総所得)が5万ドルを超えている国というのは、幕末、ちょうどペリーが(日本に)来た年に成人の識字率が8割あった国々です。経済を、生活を、よくしようと思ったら、やっぱり教育しかない」

 「これから、目先を見ると、お年寄りの扶養が大事ではあるが、養うためには、それを支えるものがなければいけない。その支えるものをどうやってつくるか。若い人たちの頭脳・技能への投資が大事です」

 「人づくりの伝統が福島県にはあります。会津藩は日本最高レベルの教育を江戸時代後期にはやっていました。福島の場合、教育が、『変通(へんつう)』、変化に対応するということと結び付いた場合に、勢いが計れないほど、すごいことを成し遂げる可能性があるのです」

 ―「変通」というのは「変ずれば通ず」。
 「そうそう、(変通と書く)『変化に通ずる』という幕末によく使われた言葉です。旧習を墨守するのではなく、変わることによって状況に対応する―という意味です。『西洋と戦うのに戦国の旧式兵器じゃ負けるじゃないか』となったとき、幕末の武士たちは『変通して西洋武器で戦おう』というふうに、この言葉を使いました」

 ―それが佐賀藩...。会津は?

 「そう。会津藩は江戸中後期には変通しましたが、幕末期にはうまく変通できなかった。要するに、一時は日本最高の教育をやったのに、時代に遅れて、気の毒な目に遭うわけです。不利益なことをさせられて。それは『変通』が乏しい」

 「ただ、経済の面では、福島の人たちは、変通できる。事実、いっぱいやってきた。会津藩では、江戸中後期に家老・田中玄宰(はるなか)が旧例墨守をやめて藩を強国に変えた。あるいは養蚕農家が桃農家になったように、石炭がフラダンスになったように。過去の福島は、いい『人づくり』と『変通』が一緒になったときに発展してきた。これこそ、私は福島県民が歴史から学びとる第一の教訓だと思います。『ならぬことはならぬもの』や『什(じゅう)の掟(おきて)』は会津藩発展の結果できあがった『見事な型』であって発展の要因ではないのです。やるべきことを小さいときにしっかり教えるのは大切です。ただ、決まったことをやるだけではなくて、環境に応じて柔軟に変われる知恵を育てるのが大事。これに気が付いたとき、福島は発展してきた。型にはまったときは、敗北と衰退でした。それが歴史家としての私の感想です」

 「田中玄宰は藩風を変えました。『これからは藩祖以来の朱子学だけではだめ』と、保科正之の伝統を部分否定し、熊本藩の改革手法を取り入れて藩をよみがえらせた。それで会津は強国になりました」(つづく)