私の中の若冲(5)命への平等なまなざし 玄侑宗久さん

 
若冲の作品を「命への賛歌」と話す玄侑さん

 江戸時代の画家、伊藤若冲(じゃくちゅう)は仏教関係者とつながりがあり、作品に仏教の影響が見られる。若冲作品に造詣が深い、芥川賞作家の玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)さん(三春町・福聚寺住職)は、若冲の絵を「生命賛歌。命の輝きを描いている」と評する。

―僧侶の立場から見て、作品に仏画の要素はあるか。

 「若冲はお坊さんと深い付き合いがあった。寺で絵を描かせてもらうなど、文化的にも、場所的にも環境に恵まれていた。作品には植物や動物が描かれることが多い。西洋の考え方だと、人間が一番上で光が当たっていて、下に行くほど影になっていく。日本は違う。平等だ。仏教観の一つに草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)の考え方がある。植物も動物も対等ということだ。若冲の『果蔬涅槃図(かそねはんず)』では、お釈迦(しゃか)様が、最も人気があった野菜のダイコンで表現されている。あらゆるものに同じ命をみていた若冲の、命への賛歌だ」

―作品から感じることは。

 「物語性を感じる。ここを切り取ったらおもしろいという感性がある。例えばツルだったら、どの瞬間が最もツルらしいか。切り取り方がおもしろい。作品にトラが出てくることがあるが、若冲が生きた時代は実際に見ることはできなかったはず。想像を膨らませて描くから、いろいろなトラがいておもしろい。今まであったものを大切にしながら物語性を持たせている。若冲は模写で技術を磨き、自身の作品もよくまねされた。まねされたのは、デザインとして優れていたからではないか。模倣されやすかったところに普遍的なものを感じる」

―天明の大火からの再生を願った『蓮池図(れんちず)』がある。玄侑さんは政府の復興構想会議の委員を務めた。若冲と災害について思うところはあるか。

 「枯れているけれども、生きているのがハスのすごさ。同じ蓮池でも、つぼみと花と実の状態を同時に見ることができる。途切れない命が一目瞭然の植物だ。枯れて何もないように見えても、よみがえってくる。極楽にハスのイメージは以前からあった。この世を極楽浄土にしようという禅宗のお坊さんと付き合っていたことが、作品に影響したのだろう。(被災者に)命のよみがえりのメッセージ、躍動している命があることを伝えたかったのではないか」

―見てほしい作品は。

 「付喪神図(つくもがみず)。つくも神は物を粗末にしたときに現れ、人々を叱る。この発想こそ現代によみがえってほしい。古くなって味が出るまで使うのは日本の美学でもある。今は使い捨てばかりで、つくも神だらけ。いや、あきれていなくなってしまったのかもしれない」

―若冲は40歳で隠居し、その後40年、絵を描き続けた。生き方をどう捉えるか。

 「人生を午前、午後という見方をすると、40歳からは夕方という豊かな考え方がある。平安時代は暑かったので、人々は夜明け前に仕事をして昼には終わっていた。午後から夜が充実していたからこそ、文化が栄えた。今のような働き方になったのは鎌倉時代ごろからと言われている。現在は70歳まで働く雰囲気になりつつある。それが果たして豊かなのか、疑問に思うところがある。40歳での隠居は本当にうらやましい生き方だ」


げんゆう・そうきゅう 三春町生まれ。慶応大中国文学科卒。2001(平成13)年に「中陰の花」で芥川賞を受賞。東日本大震災で被災した青少年を支援する「たまきはる福島基金」理事長を務める。62歳。