私の中の若冲(6)京都から世界に触れた 澤田瞳子さん

 
「若冲の描く線はとても伸びやかでスピーディー」と魅力を語る澤田さん

 綿密な史料分析、大胆な仮説設定で歴史上の人物を鮮やかに描き出す小説家の澤田瞳子(さわだとうこ)さんは、小説「若冲(じゃくちゅう)」(文芸春秋)で、天才絵師伊藤若冲の謎の人物像に迫った。「多様性に富む作品を、どうやって描いたんだろうと考えながら見るのが楽しい」と若冲作品の魅力を語る。

―小説の主人公に若冲を選んだのはなぜか。

 「若冲は分からないことの方が多い画家だが、人間関係に興味を持った。接触した跡が見受けられないものの、円山応挙(まるやまおうきょ)や与謝蕪村(よさぶそん)といった絵師らは近くに住んでおり、何か関わりを持っていたかもと考えた。また、絵師として弟子はいたのだが、画派としての形成はなかった。なぜ彼一人あのような画風を確立できて、一代限りで終わってしまったのか、書いてみたいと思った」

―ただ絵に没頭するだけの人物と思われていたこともあったが、小説からはそうではない若冲像が見えてくる。

 「小説のために調べて分かったことだが、若冲は地元・京都の錦小路で市場の存続に関わるトラブルの解決のため、江戸幕府の役人に手伝いをしてもらっている。今で言う官僚のような人物。そうした人物に助力を求めるというのはただの絵師にできる仕事ではない。若冲が町衆として政治的なことや、経済的なことに第一線で関わっていたことの証拠だ」

―1788(天明8)年、京都で「天明の大火」と呼ばれる大災害が起き、若冲は大坂に避難した。若冲の復興への思いは。

 「京都は歴史的に火事が多かったが、これほどの丸焼けは初めてというほどの大火事だった。若冲は老境で焼け出され、衝撃は大きかったと思う。災害後の京都で人口が流出し、著しい衰退が起きたこともショックだったと思う。ただ、若冲は大火で初めて京都以外の地に出たのだが、数年後にはまた京都市中を望む深草の地に戻っている。そのあたりのメンタリティーには興味が湧く」

―好きな作品は。

 「白象群獣図(はくぞうぐんじゅうず)はとてもデザイン的で面白い。若冲は子どもの頃、長崎から江戸に運ばれていく途中で京都を訪れた象を見た可能性がある。当時の京都には海外の物が少しずつ入ってきていた。『プルシアンブルー』という当時輸入されたばかりの青色を使っていたことからも言えるのだが、天明の大火で焼け出されるまで京都を出なかった若冲が海外の物にいろいろと触れていたのは、とても面白いことだと思う」

―東日本大震災復興祈念 伊藤若冲展で作品を鑑賞する人へメッセージを。

 「若冲が描く線はとても伸びやかでスピーディー。特に水墨画ではその特徴が顕著だ。古い絵は堅苦しいとか思われがちだが、今見ても新しく、どうやって描いたんだろうと想像するのが楽しい。そういう部分をぜひ見ていただきたいと思う」

さわだ・とうこ 京都市生まれ。同志社大大学院文学研究科修了。正倉院文書の研究などに携わった後、デビュー作「孤鷹(こよう)の天」で第17回中山義秀文学賞を最年少受賞。「満つる月の如し 仏師・定朝」で新田次郎賞、「若冲」で親鸞賞。近著に「腐れ梅」「火定」「落花」など。41歳。