【陸前浜街道・全6回(5)】 復興へ先人と重なる姿

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たそがれ時の小高駅前通り。水たまりに映る街灯の光が避難者の帰りを待つようにともる

 陸前浜街道をたどる旅は東京電力福島第1原発事故に伴う帰還困難区域を抜け、南相馬市小高区に入る。小高宿に向かう途中、街道を西にそれ、同市小高区泉沢にある「大悲山(だいひさん)の石仏」に立ち寄った。大悲山の石仏は「薬師堂石仏」「観音堂石仏」「阿弥陀堂石仏」の三つの石仏群からなる。平安時代に造られた東北最古の石仏とされ、1930(昭和5)年に国指定史跡となった。

 案内板を頼りに人のいない石段を一歩ずつ上っていく。樹齢千年を超える県指定天然記念物の大杉の脇を抜けると、薬師堂石仏に着いた。石仏はすっぽりと建物に覆われている。ガラス戸越しにのぞくと岩に彫られた石仏らしき姿が見えるが、形がはっきりとしない。長年の雨風で浸食された影響なのだろうか。なぜこの場所に石仏群が造られたのか興味が尽きない。

 街道に戻り北上を続け、JR常磐線小高駅近くに来た。同市小高区は2012(平成24)年4月の区域再編後、避難指示解除準備区域と居住制限区域、帰還困難区域に再編され、現在は除染や復興に向けた作業が進められている。人影の少ない駅前通りを左に曲がると、ここから小高宿となる。相馬中村藩の城下から南に30キロほど離れた場所にある宿場は、磐城平藩など南に向かう旅人の宿泊、休憩場所として利用され、にぎわった。

 相馬中村藩は江戸時代の天明の大飢饉(ききん)で多くの餓死者を出した。飢饉を教訓に治水事業が進められ、真野川や新田川など、阿武隈高地の豊かな水源を利用した「小高江」をはじめとする用水が整備された。これが同市の豊かな水田地帯を形作った。飢饉を乗り越えた先人と、復興へと歩む住民の姿が重なるように思える。

 街道に面する交流施設「小高浮舟ふれあい広場」の様子を見に行くと、地元の小高商工会女性部の橘由美子さん(52)と田中由里子さん(53)が忙しそうに「交流カフェ」の開設準備を進めていた。「住民の集まる場所になれば」との思いがあるという。「先人たちは幾多の苦難を乗り越えてきた。自分たちも(原発事故に負けず)動きだすことで何かが見えてくるはず」。2人の言葉は力強かった。

 街道をさらに北に進むと、国指定の重要無形民俗文化財「相馬野馬追」が行われる同市原町区の雲雀ケ原祭場地が右手に見えてくる。「この辺りは昔、原っぱだった」。祭場地の裏手にある南相馬市博物館の水久保克英さん(52)が説明してくれた。「街道はちょうど原っぱを突っ切るように通っていた」という。祭場地から進んだ先にあるのが原ノ町宿。宿場は、現在の県道原町浪江線の四つ葉交差点付近から新田川に架かる小川橋のたもとまでの約630メートルの区間にあった。通りには今も蔵や屋敷などが軒を連ね、往時の姿を残している。

 原ノ町宿を過ぎると、これまでの平らな道と打って変わり上り下りが激しくなる。日が傾きかけてきたため、歩みを速めた。田園地帯を抜け、真野川に架かる同市鹿島区の鹿島橋まで来た。以前は鹿島橋から100メートルほど下流に旧真野川橋が架かり、鹿島宿の入り口になっていた。

 近くにある鹿島御子(みこ)神社をこの日の最終地点と決め、鳥居をくぐった。毎年小正月に行われる伝統行事で、1年の無火災を祈る「火伏せ祭り」は、町の大半を焼失した大火に由来している。境内にそびえる樹齢千年の大ケヤキは火災や日照りなど町を襲った幾多の災害とともに、その災害を乗り越えてきた住民たちの姿も見てきただろう。

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 【 記者の「寄り道」スポット 】

 南相馬市小高区の駅通りに面する小高浮舟ふれあい広場(電話0244・26・3620)=写真。町中のにぎわいづくりとともに、事件・事故防止活動に当たるボランティア団体の活動拠点として2009(平成21)年10月に開所した。12年4月の区域再編で避難指示解除準備区域となったため、現在は避難住民の再会の場として活用され、コンサートなどが開かれている。

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 南相馬市原町区のJR常磐線原ノ町駅付近、まちなかひろば原ノ町屋台村にあるお食事処「歩々(ふうふう)」(電話070・6497・2399)。伊達鶏と野菜を使った料理を提供する。一番人気は親子丼(並盛り650円、税込み)=写真。みそ汁、日替わり野菜のおかず、デザートの中から2品を選べる。営業時間は月、火曜日が午前11時~午後3時、木、金曜日が午前11時~午後3時と午後5時~8時、土、日曜日が午前11時~午後8時。水曜日定休。

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 南相馬市原町区高見町の国道6号に面する高さ20メートルの「ミニ無線塔」=写真。長く町のシンボルとして親しまれた原町無線塔が1982(昭和57)年に撤去されたのを機に同年、原町市(当時)と原町ライオンズクラブが建てた。21年に造られた原町無線塔は当時東洋一の高さ約200メートルを誇り、関東大震災の第一報を世界に打電した。

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