【二本松街道・全3回(2)】 金山近く「荷継ぎの宿場」

 
横川宿は、往時をしのばせる建物が残り宿場らしい雰囲気を今なお残す

 二本松街道をたどる旅は本宮市を出発し、郡山市熱海町へ。

 医聖、野口英世が医師試験を受けるために上京した際、街道を通り本宮方面に向かった。1896(明治29)年のことだった。野口が歩んだ道を、野口とは逆方向に会津に向かって進む。

 県道本宮熱海線へと合流する道は緩やかな坂道が続き、車で通るにはやや狭い印象。歩みを進めると、右手に日本三大金山の一つ高玉金山が見えてきた。

 昭和初期に最盛期を迎えた山も現在は閉じられ、山肌が濃い緑に包まれている。

 高玉金山の南に位置する横川宿には、現在の宿泊施設に当たる「旅籠(はたご)」跡など往時をしのばせる建物が残り、いかにも宿場といった雰囲気を醸し出す。中でもひときわ目を引くのが名主として、問屋も営んでいた安田家。長屋門と土塀が今も残り、堂々としたたたずまいに目を奪われる。

 宿場は明治初期ごろ、旅籠や民家など70戸以上が軒を連ねた。「会津藩と二本松藩を行き来する物資の荷継ぎのための宿場町として栄えた」。宿場の様子を知ろうと訪ねた熱海史談会副会長の大内文一さん(61)が、史料を基に自作したという、当時の街並みなどを記した地図を広げながら説明してくれた。

 集落の西端に鎮座する帳附(ちょうづけ)神社を過ぎ、県道本宮熱海線に出る。県道の先にあるのが磐梯熱海温泉。商都・郡山の奥座敷として、会津観光の玄関口としてにぎわう。
 五百川沿いを進み、温泉街に着くころには汗が滴り落ちた。旅人も長旅の疲れを癒やしたことだろう。寄り道をし、JR磐梯熱海駅前にある足湯につかった。

 しばしの休息を取り、温泉街を後にした。この先には街道の難所の一つ、中山峠(楊枝(ようじ)峠)が待ち構える。猪苗代湖で湖水浴が始まったせいか、国道49号は子どもを乗せた車の往来が激しい。

 中山峠にあった中山宿に向かうため、JR中山宿駅の手前で国道をそれた。

 旧中山宿駅舎跡地の案内板を横目に進むと、推定樹齢400年以上、高さ30メートルほどある大ケヤキが目に飛び込んできた。間近で見たいとの好奇心に駆られ、大ケヤキのある小池祐治さん(78)方を訪ねると、快く応じてくれた。

 大ケヤキの根っこの部分がすすけている。戊辰戦争で劣勢に立たされ後退を余儀なくされた会津藩が、宿場を利用されないよう町を焼き払った跡であることを、祐治さん方を偶然訪れていた熱海史談会会員の小池一正さん(68)が教えてくれた。

 中山宿は明治時代、大火にも見舞われた。大火のあった年こそはっきりしないが、その日が戊辰戦争と同じ「4月23日」だったと伝わっている。地元の「焼(やけ)祭り」は、火災よけの伝統行事として毎年6月に行われている。

 「大火に負けず、この地の復興を見守ってきたのだろう」。大ケヤキを見上げながら祐治さんは感慨深げに話した。

 旅路を急ごうと峠道に戻り、この日の最終目的地と決めていた旧楊枝村跡に着いた。峠を通る旅人のために開かれた村は、磐越道建設に伴い1985(昭和60)年に閉村した。

 楊枝集落跡記念碑にはこう記されていた。「交通のために開かれた村が交通によって消えてゆくことは歴史の皮肉でありましょうか」。慣れ親しんだ場所を離れなければならなかった住民の複雑な思いが伝わってきた。

二本松街道

 【 記者の「寄り道」スポット 】

 郡山市の郡山石筵ふれあい牧場(電話024・984・1000)=写真=は、自然の中で乗馬やバーベキューを楽しめる。夏は牛乳ソフトクリーム(税込み320円)やアイスキャンディー(同130円)、アイスクリーム(同250円)が人気だ。同牧場でしか味わえないソフトクリームは新鮮な生乳を使用。時間は午前9時30分~午後4時30分。火曜日定休(祝日の場合は翌日)。

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 郡山市にある旧中山宿駅=写真=は、列車が険しい斜面を上り下りするためのスイッチバックを採用した駅だ。以前は芝桜の花文字を車窓から眺めることができ、「花文字の駅」として知られていた。駅は1997(平成9)年に西側に移設され、同時にスイッチバックも廃止された。「ふくしまデスティネーションキャンペーン」の期間中に観光列車を歓迎するために掲げられた横断幕=写真=は、現在も往来する列車を見守る。

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 郡山市の郡山ユラックス熱海(電話024・984・2800)=写真=は、温泉や温水プールなどを備えた複合施設。温水プールは日本水泳連盟公認25メートルプールでシーズンを問わず利用が可能。営業時間は温泉が午前9時~午後9時、温水プールが午前9時30分~午後8時30分。8月2日にはイベント「夏だ!祭りだ!ユラックス縁日」を開く。

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