【白河街道・全3回(1)】 屋号看板に住民の願い

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「鍛冶屋」など江戸時代の屋号を示す看板が並ぶ上小屋宿。看板は、かつて宿場があったことを今に伝えている

 若松城下と白河城下を結び、奥州街道や越後街道を通じて江戸と越後、佐渡をつないだ白河街道。その面影を求めて白河から若松に向けて北上する。

 白河市の市街地から国道4号を抜けて国道294号に入った。歩みを進めると小高い丘の麓で「右北郷道 左會津海道」と刻まれた道標を見つけた。

 白河街道は越後街道や下野街道などと並ぶ会津五街道のうちの一つで、会津側の呼び名だ。白河の人には会津街道と言わなければ通じない。

 道標には「街」ではなく「海」の字が使われていた。案内してくれた同市の歴史に詳しい金子誠三さん(88)と安司弘子さん(62)が「昔の人は漢字の使い分けに厳密ではなかったし、東海道への憧れもあったのだろう」とその理由を教えてくれた。

 近くにある案内板には「会津街道 刎石(はねいし)峠入口」と書かれ、街道が会津藩などの参勤交代や、佐渡金山で採れた金の輸送に使われた重要な道だったと紹介している。

 案内板の後ろには林が広がり、丘の上には工業団地が整備されている。教えてもらわなければ見つけるのが難しい街道の入り口。国道294号の整備や工場用地開発で、この辺りはずいぶん様変わりした。国道を走る車も、街道の入り口があったことなど気に掛けずに通り過ぎていくようだ。

 しばらく進むと、飯土用(いいどよう)宿にたどり着く。現在の県道と並行して走る、かつての街道の細道を進む。宿場は住宅地となり、車通りの少ない道路で遊ぶ子どもの姿があった。飯土用宿は戊辰戦争の戦地とならず、明治時代以降、大火にも見舞われなかったため、かつての面影を残している。近代的な家々の中で存在感を放つ昔ながらの土蔵も、その一つ。

 住宅地を抜けると、飯豊比売(いいとよひめ)神社の鳥居と、その先にある高さ40センチほどの小さな道標が見えた。風雨にさらされたせいか道標の文字は鮮明ではないものの、「右大屋村上小屋 左西郷村羽太」と書かれている。上小屋宿に向かうため右の道を選んだ。

 上小屋宿には「鍛冶屋」「田村屋」「大黒屋」などと、江戸時代の屋号を書いた看板が、民家の玄関先に掲げられている。人通りの少ない長い直線道路に並ぶレトロな雰囲気を感じさせる看板と、近代的な住宅の対比が、時の流れを感じさせた。

 看板は地域活性化の一環で上小屋町内会が2000(平成12)年に整備したという。「宿場のにぎわいが失われ、当時の建物も少なくなった。せめて屋号だけでも残したい」。看板には住民の願いが込められていた。

 白河市大信の上小屋地区には同じ名字が多いため、今も屋号で呼び合っているという。看板整備に尽力した増子克紀さん(66)は「看板は各家庭の歴史を伝えている。ずっと大切にしていきたい」と力を込める。

 道路や鉄道など交通網の整備で、街道はかつて栄えた宿場とともに衰退していった。道そのものが失われた場所もあれば、取って代わる道路の整備で、ほとんど利用されなくなった道もある。

 上小屋地区に掲げられた屋号の看板を見て、ようやく白河街道の往時の姿を感じることができた。民家の建て替えなどで街並みが変わるのは避けられないが、少しの工夫で地域の歴史や住民の思いを受け継ぐことができると気付かされた。歴史の重みをかみしめながら、他の場所でも歴史を伝える取り組みがさらに深くできないかと考えさせられた。

白河街道

 【 記者の「寄り道」スポット 】

 白河市と言えばラーメンの印象が強いが、JR白河駅周辺には老舗そば屋が点在している。白河藩主松平定信が冷害に強いソバの栽培を奨励したことが、そば文化の始まりとされている。同市大手町の大福家(電話0248・23・3021)の割子そば(5段)=写真・税別1000円=は「山菜」「イクラおろし」「ナメコ」「そばの実とろろ」「ノリおかか」の5種類の味を楽しめる。

 国道4号から白河市大信に続く国道294号に入ると見えてくるのが、JAしらかわの農産物直売所「り菜あん」。地元の新鮮な野菜や地元産品を使った加工食品などが並ぶ。人気商品はジェラート=写真=でバニラや塩キャラメル、ココアなどさまざまな味を選べる。期間限定の「新米」は、コメの食感が楽しい。

 白河市大信にある肉の秋元本店(電話0248・46・2350)は自社農場で育てた「白河高原清流豚」が人気だ。ソーセージや豚トロのほか、レトルトカレーや肉みそなど加工品も販売している。白河高原清流豚をふんだんに使った新商品のトマト豚まん(4個入り、税抜き1019円)=写真=は肉のうま味とトマトの風味が後を引く。