【白河街道・全3回(2)】 民家の裏に本陣跡の碑

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湖南の中心地として栄えた福良。街道沿いには商店や飲食店が並ぶ

 街道をたどる旅は白河市を抜け天栄村へと入る。

 最初に通る「手招き坂」はかつて盗賊が出没したという。出発早々、不安を覚え後ろを確認しながら足早に進む。

 釈迦堂川、国道294号を越えると、牧之内宿が見えてくる。

 宿場は、宿泊施設の旅籠(はたご)が立ち並んでいたかつての姿こそないものの、間口が狭く奥行きのある宿場特有の造りをした区画が残り当時をしのばせる。地元出身で天栄村生涯学習課の根本容作さん(53)が、ここでも住民は今でも名字でなく「河内屋」「江戸屋」と屋号で呼び合っていると教えてくれた。

 県道を進むと「従是南(これよりみなみ)白川領(しらかわりょう)」と刻まれた石の標柱を見つけた。標柱は「ここから南が白河藩の領地」の意味。白河藩と長沼藩の境界だったことを示す。

 標柱にはおもしろい話が残る。若者が盆踊りの帰りに力比べを始め、標柱を数キロメートル担ぎ、宿場にある牧本小近くまで運んだ。「私が子どものころはまだ小学校のそばにありましたね」と根本さん。標柱はしばらくそのまま置かれていたが、その後、元の場所に戻された。力自慢たちが懸命に標柱を担ぎ上げる姿を思い浮かべ苦笑しつつ歩みを進めると、須賀川市に入った。

 国道118号を越えると、長沼宿。城下町だった長沼は岩瀬郡西部の交通の要衝だった。北側の長沼小そばに、丘に築かれた長沼城跡がある。升形の町並みに城下町の名残を感じ思いにふけっていると、道路の除染作業が目に入り、一気に現実に引き戻された。

 国道294号から勢至堂(せいしどう)峠に入る。峠の入り口付近で「道谷坂の陣跡」の案内板を見つけた。

 案内板によると、関ケ原の戦いのころ、会津を治めた上杉景勝が家臣の直江兼続とともに徳川家康率いる上杉討伐軍を迎え撃つための上杉軍の陣所があったという。

 人通りもなく、ひっそりとしているが、かつては長沼城と合わせて、この辺りが戦略上重要な場所だったことをうかがわせた。峠には現在、トンネルが整備され、容易に進むことができる。近くには豊臣秀吉が天下統一の仕上げとして会津に入るために通ったとの伝説が残る史跡「太閤の道」もある。

 峠を下ると、郡山市湖南町の三代宿に至る。湖南には三代のほか、福良、赤津の三つの宿場があり、秀吉が会津に入る際に宿泊したとの言い伝えが残る。

 地元の湖南町史談会長の伊藤年(みのる)さん(79)と同会顧問の秋山雄記さん(84)の案内で宿場を巡った。三代は白河街道の勢至堂峠の玄関口で、二本松藩との境に位置するため、見張り所の「口留番所(くちどめばんしょ)」が置かれていた。

 通りの家々には屋号を示す看板が掲げられ、宿場の雰囲気を十分に感じることができる。国道を進み、トンネルを抜け福良宿へ。

 湖南の中心地として栄えた福良。戊辰戦争では新選組や白虎隊が陣を構えたともいわれている。

 商店や飲食店がある通り沿いに御本陣跡の入り口の案内を見つけ先に進むと、民家裏にひっそりと本陣跡の碑があった。白虎隊、新選組が滞在した当時に思いをはせた。

 秀吉や新選組だけでなく吉田松陰や伊能忠敬ら歴史に名を残す人物が通ったとされる街道。宿場には当時の面影が残り、歴史に詳しくない身でも歴史ロマンに浸ることができた。

 「若い人たちには自分たちの生まれた古里の歴史を知り、魅力や誇りを感じてほしい」と伊藤さん。若い世代にこそ通ってほしい道だった。

白河街道

 【 記者の「寄り道」スポット 】

 天栄村大里の安養寺に安置される県指定重要文化財の法燈国師座像(ほうとうこくしざぞう)=写真。法燈国師は東大寺や高野山で修行した高僧で、中国から、みその造り方を伝えたとされる。鎌倉時代末期に造られた寄せ木造りの彫像で自身の姿を彫ったといわれている。赤ん坊の夜泣きが治まる「ほっとこさま」と呼ばれ、村内外から参拝者が訪れる。

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 須賀川市の国道294号から勢至堂(せいしどう)峠に入ると、左手に見えるのが馬尾(まお)の滝写真。勢至堂渓谷にあり、車からもその姿を見ることができる。白馬の尾のような形をしていることからその名が付いたという。落差約10メートルの瀑布(ばくふ)は通行人に癒やしを与える。付近には銚子ケ滝などの滝もある。

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 郡山市湖南町三代の国道294号沿いにある湖南精肉店(電話024・982・2529)は手作りの「肉屋のかりんとう」=写真=が人気だ。米粉を使った素朴で風味豊かな逸品で、かため、黒ごま、塩味、太めなど計5種類ある。価格は300円と380円でいずれも税別。同市湖南町福良に支店がある。

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