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栄冠は君に輝く
生誕100年記念
栄冠は君に輝く
「栄冠は君に輝く」のレコードジャケット(古関裕而記念館提供)
斎藤 秀隆 (福島東稜高教員)

(21)2009.06.29

甲子園球場で大会歌を作曲
 1948(昭和23)年4月、戦後の新制高等学校が誕生しました。この時期は前年の小、中学校の六三制スタートと合わせて、現在の学制が確立した時期でした。高等学校誕生とともに戦時中に禁止されていた野球が復活、「全国中等学校野球大会」は「全国高等学校野球選手権大会」として、阪神甲子園球場で開催されることになりました。
 大会主催者の朝日新聞社は大会歌を作ることになり、歌詞は公募とし、作曲を古関に依頼しました。古関はさっそく甲子園球場に行きました。「無人のマウンドに立って周囲を見回しながら、熱戦を想像しているうちに、私の脳裏に大会の歌のメロディーが湧(わ)き、自然に形づくられてきた。やはり球場に立ってよかった」(自伝『鐘よ 鳴り響け』)と述懐しています。
 作詞者は歌人加賀大介で、本宮出身の伊藤久男が「雲は湧き光あふれて/天高く純白の球今日ぞ飛ぶ」と終戦直後の荒廃した中で、目的を失っていた若人の夢をかき立ててくれました。歌詞の中の「若人」とは、野球だけではなく、青春の情熱に燃えていた多くの若者への呼び掛けでした。古関はスポーツ音楽の世界でまた一つ、大きな足跡を残すことになりました。その年の8月には第30回大会が開催され、「栄冠は君に輝く」は開・閉会式の恒例歌となりました。

服部良一も絶賛 
 77年、母校福商が甲子園出場を果たし、古関はその喜びを語りました。「今年は大会歌『栄冠は君に輝く』が作られて30周年、それを記念して作詞者(代理出席)と作曲者が開会式に招待された。福島県代表の母校の選手が私の前を通過する時、思わず大きな拍手を送った。続いて大会歌の大合唱が起こった。一緒に見ていた作詞者と共に感激した」(「日本教育新聞」昭和52年10月6日付)。
 阪神タイガースの歌や巨人軍の歌、中日ドラゴンズの歌などの球団歌、大学応援歌などを多数作曲した古関の業績を評価した作曲家の服部良一は、「行進曲やスポーツ音楽は古関さんにかなわない」と絶賛したと伝えられています。
    メ  モ  
  加賀大介 
 
加賀は石川県根上町出身の歌人で、大リーグ・ヤンキースの松井秀喜も同郷です。最初は妻道子名義で応募(歌人としてのプライドがあったといわれています)しましたが、20年後に作詞者として名乗り出ました。1973(昭和48)年、58歳で逝去。

 


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