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さくらんぼ大将
生誕100年記念
さくらんぼ大将
さくらんぼ大将関係者の茂庭視察旅行(古関裕而記念館提供)
斎藤 秀隆 (福島東稜高教員)

(25)2009.07.27

疎開した飯坂や茂庭を視察
 古関と菊田一夫のコンビによるNHKラジオドラマ「鐘の鳴る丘」は、戦後の苦しみの中にあった日本人の心に温かい人間性を呼び起こし、反響を呼びました。ドラマも完結しようとしていた1950(昭和25)年の晩秋、菊田から古関に次のドラマの相談がありました。
 ラジオ・ドラマなどの執筆について菊田は、「戦時中に国策協力という至上命令で多くの戦意高揚劇を書かされ、戦後は戦犯文士の汚名をすすぎ、戦時中の贖罪(しょくざい)の意味をこめて必死に書いた」(小幡欣治著『菊田一夫』)と述べています。菊田とほぼ行動を共にしていた古関もまた、その思いは軌を一にしていたに違いありません。そうした立場の古関が思い出したのは、戦時中に疎開していた福島市の飯坂温泉と、摺上川沿いによく足を運んだ茂庭村(当時)でした。

 ■全国を旅しながら成長
 1950年12月、古関と菊田は2日間にわたって飯坂や茂庭を視察。「さくらんぼ大将」の構想を練り、菊田が脚本を執筆、古関は作曲を担当し、合唱は音羽ゆりかご会で、川田孝子が歌うことになりました。
 主役は父母を亡くした六郎太少年で、医師と女友達の3人とで、全国を旅しながら次第に成長していく姿を描きました。第1回が放送されたのは翌年1月4日(最終放送は52年3月)、時間は夕方の15分間で、月曜日から金曜日までの連続ドラマだったため、多くの人がドラマを楽しむようになりました。主題歌の「春の川ぎし青葉のかげに/さくらんぼかくれんぼさくらんぼ」のフレーズは子どもたちに大きな夢を与えました。

 ■主題歌で恩返し
 当時古関は、「さくらんぼ大将という主題歌を作り、毎回歌います。現地をよく見てさくらんぼの香りのするような良い曲を作り、福島に恩返しをしたいと思って参りました」(福島民友新聞)と話し、「川に沿って歩き、茂庭の山に分け入っては景色を見つめていた。福島の本当の良さを、そのあたりに感じていた」(福島市観光協会『もっと福島』)と述べています。
    メ  モ  
 音羽ゆりかご会
 海沼実によって創設され、現在までに3500曲のレコード、CDを吹き込んでいます。「鉄腕アトム」「ウルトラマン」などが特に有名で、「里の秋」「みかんの花咲く丘」など国民に安らぎを与え、児童合唱団として不動の地位を占めています。   

 


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