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君の名は
生誕100年記念
君の名は
「君の名は」の直筆楽譜(古関裕而記念館提供)
斎藤 秀隆 (福島東稜高教員)

(28)2009.08.24

ラジオドラマの世界を表現
 福島を舞台にした「さくらんぼ大将」が好評裏に終了し、次のNHK連続ラジオドラマが始まりました。それが戦後最大のヒットとなった放送劇「君の名は」です。ドラマは社会派ドラマとしてスタートし、登場人物は、戦争未亡人や戦災孤児、元軍人、娼婦ら当時の社会を反映したものでした。当初、あまり人気の出なかったこのドラマは、「半年も過ぎた頃(ころ)から大変な人気となり、2人のすれ違いに聴取者の同情が集まり」(自伝『鐘よ 鳴り響け』)、菊田一夫の筆は2人の純愛物語へと軸足を移していったのです。
 こうした路線変更について菊田は、「戦後5年も経(た)てば国民の戦争に対する気持ちも次第に変化してきている。社会性を持たないものの方がかえって大衆受けをする」(小幡欣治著『評伝菊田一夫』)と確信、以後の作品づくりの基本となりました。
 「君の名はと尋ねし人あり/その人の名も知らず/今日砂山にただひとり来て/浜昼顔に聞いてみる」との切ない歌は、1番目が佐渡、2番目は東京、3番目は志摩と舞台を変え、ご当地ソングのはしりとなりました。この放送を聞くために「毎週木曜日の夜8時になると、銭湯の女湯が空になる」とのまことしやかなキャッチコピーが生まれたのは、菊田の傑出した作品展開と叙情あふれる古関メロディーによるものでした。

■紅涙を絞る 「君の名は」は、1952(昭和27)年4月から54(同29)年4月までの2年間、菊田と古関のコンビによって作られました。また、昭和27年、松竹によって映画化された「君の名は」は、その収益で松竹本社ビルを建てた、との噂(うわさ)が出たほど未曾有の人気を博しました。
 主題歌をはじめ、音楽は古関が担当。ハモンド・オルガンを縦横に弾きこなし、放送劇を盛り上げて女性ファンの紅涙こうるいを絞りました。ドラマに出演した七尾怜子は、「ラジオドラマの三要素の、せりふと効果音、音楽がとてもうまくて、聞き手のイメージを最大限に膨らませてくれた」と、古関の実力を高く評価しています。
    メ  モ  
 冒頭句は一世を風靡 
 ある人から「古関さんの作曲法は」と質問された。古関は3つの机に3つの楽譜を置き、それらを同時に完成させるとともに、作曲の時は楽器を一切使用しなかったそうです。古関の頭の中には絶えずメロディーが流れていたといえるでしょう。   

 


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