古関裕而『うた物語』TOP
高原列車は行く
生誕100年記念
高原列車は行く
「高原列車は行く」の歌碑(猪苗代・沼尻温泉)
斎藤 秀隆 (福島東稜高教員)

(30)2009.09.21

ハイカラで軽快な歌謡曲に
高原列車は行く
 古関の曲で最も有名な曲は何でしょうか。私は第一番に「高原列車は行く」を挙げます。理由は、歌詞が平易でメロディーが親しみやすいことです。毎年開催される古関裕而記念音楽祭での全員合唱で歌われる曲の一つで、この曲が演奏されると、歌声が四方八方から津波のように湧(わ)き上がり、圧倒されます。その時実感したのは、「音楽はパワーだ!」という言葉でした。
 作詞家の丘灯至夫は、日本コロムビアの専属作詞家となってから年に数十曲のペースで作品を発表し、多くのヒット作を生み出していました。その最大のヒット曲が、岡本敦郎(あつお)の歌った国民歌謡「高原列車は行く」(昭和29年)です。丘は古関の作曲した歌を聴いて、「これじゃ、まるでスイスかオーストリアだ!」と仰天したといいます。郷里の大先輩で、敬愛する古関らしく、実にハイカラで、センスに溢(あふ)れ、テンポも良く、自分が描いたイメージとは全くかけ離れている。丘はこの歌を聴くうちに「たまらなく嬉(うれ)しさがこみ上げてきた」と述べ、「この歌詞には、この曲以外にない」そう確信したといいます。
モデルは沼尻鉄道
 3年前の「あこがれの郵便馬車」に続き、「同様の歌を」という依頼を受け、即座に丘の頭に浮かんだのが、懐かしい記憶のある猪苗代町の沼尻鉄道だったそうです。1968(昭和43)年に廃止されるまで、沼尻、中ノ沢などの温泉への足としても利用され、豊かな地方色に満ちた列車に、丘は湯治のために何度も家族と乗っていました。丘の利用した沼尻鉄道は、鉱山から鉱石を運び出すトロッコ風の「軽便鉄道」のことで、沿線には裏磐梯や白樺が立ち並ぶ風景がありました。ところが古関は、スイスあたりの高原を走るハイカラなイメージを念頭に、軽快な歌謡曲に仕上げたのです。
 丘の小さい頃(ころ)の体験が歌詞となり、ヨーロッパの高原列車を思わせる曲想で古関が名曲を完成させたのは、昭和29年のことです。それ以来、この歌は国民歌謡として定着、多くのファンを魅了し続けています。
    メ  モ  
 「押しと顔」!? 
 作詞家丘灯至夫(本名・西山安吉)のペンネームの由来は「新聞記者は押しと顔がきく。これを逆に読むと、『おかとしお』」(古関自伝)。現在、92歳だが、夫人がマネジャーを務めており、「オッカドウシヨウ」から命名したとも。   

 


〒960-8648 福島県福島市柳町4の29

個人情報の取り扱いについてリンクの設定について著作権について

国内外のニュースは共同通信社の配信を受けています。

このサイトに記載された記事及び画像の無断転載を禁じます。copyright(c) THE FUKUSHIMA MINYU SHIMBUN