古関裕而『うた物語』TOP
福島音頭
生誕100年記念
福島音頭
「福島音頭」を演奏するハワイ島マウイ太鼓(野村俊夫家提供)
斎藤 秀隆 (福島東稜高教員)

(32)2009.10.05

「故郷彷彿」とハワイで流行
 インターネットで「福島音頭」を検索すると、ハワイ島でマウイ太鼓が流行し、そこで歌われ、かつ踊られていることが分かりました。この歌は1954(昭和29)年5月、古関と野村俊夫が故郷福島市にプレゼントした歌です。「福島音頭」は盆踊り唄(うた)で、コロムビア三羽ガラスの手による名調子の音頭です。唄うは本宮市出身伊藤久男と、当時一世を風靡(ふうび)した神楽坂はん子でした。
 ただし、昭和9年には野村らの作詞した「福島音頭」(作曲佐々紅華ら)が3曲あり、ハワイでの流行の有無は不明です。
 古関や野村は、「福島行進曲」や「福島ブルース」「福島小唄」「わらじ音頭」「阿武隈の歌」など、かなりの地元の曲を残しています。昭和30年前後は、地方新民謡のブームで、丘灯至夫らは古関とのコンビで「加賀百万石」などを作り、今も盛んに歌われ、踊られていますが、なぜか「福島音頭」の方は、故郷を彷彿(ほうふつ)させると、ハワイ島で流行しています。
 「ハァー名さえ福島うれしいじゃないか(コラショ)/どちら向いてもどちら向いてもえびす顔/さあさおいでおいでどなたまで/ぜひともぜひとも」という具合に、野村の目線は福島全域に向けられており、唄い手の伊藤久男と神楽坂はん子の絶妙な掛け合いも見事です。
■「福島小唄」
 ところで「福島音頭」の2年前の昭和27年に発表された「福島小唄」の方はといえば、「むかし吾妻はね/むかし吾妻は妻恋山よ/いまじゃ火を吹く/いまじゃ火を吹く恋の山」とこれもまた名調子で、私などはこの小唄を諳(そら)んじているほどです。作詞・作曲は野村と古関の名コンビ、歌は鶴田六郎と「トンコ節」で有名だった久保幸江が掛け合いました。これらは、花街の衰退とともに廃(すた)れてしまいましたが、誠に惜しい限りです。
■新民謡ブーム
 戦後の新民謡ブームは2回ほどありました。第一次は、昭和6年頃(ころ)の「東京行進曲」や「飯坂小唄」「東山音頭」「福島行進曲」などが作られた時期。第二次は昭和24、5年以降で、戦後復興を成し遂げ、花街も賑(にぎ)やかだった頃です。
    メ  モ  
 伊藤久男 
 1910(明治43)年、現在の本宮市に誕生。本名は四三男(しさお)で、生家は大地主でした。家業を継ぐため東京農大に進学しましたが、音楽の夢を捨てきれず、33(昭和8)年、コロムビアと専属契約を結びました。代表曲は「暁に祈る」「イヨマンテの夜」。   

 


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