古関裕而『うた物語』TOP
オリンピック・マーチ
生誕100年記念
オリンピック・マーチ
ハモンド・オルガンを弾く古関(昭和45年、古関裕而記念館提供)
斎藤 秀隆 (福島東稜高教員)

(39)2009.11.30

君が代の一節で開催地象徴
 1964(昭和39)年10月、東京でアジア初のオリンピックが開催されました。オリンピック組織委員会とNHKが共同でいくつかの曲を作りましたが、その中心曲となったのが、古関作曲の「オリンピック・マーチ」です。古関の長女染谷雅子は、その時の古関の様子をはっきりと記憶しています。
 「たまたま私が実家に帰った時、父が大変興奮して戻って参りました。今度オリンピックの行進曲を書くことになったと、母と私に話しました。私は父の喜びが尋常ではないと、その時感じました。後日、オリンピックの開会式が始まり、父の音楽に歩調を合わせて各国の選手団の入場が始まると、やっと父の気持ちが分かったのです。父はこの曲には苦心したが、会心の作だ、と言っておりました」
 古関は「アジアで最初に開かれるオリンピックであり、日本的な旋律によるマーチなど、色々(いろいろ)考えてみました。けれども雅楽、邦楽、民謡など、どれをとってみても日本的なメロディーはマーチに向かないのです。そこですべて白紙に戻しました。私自身のイメージで作りましたが、最後に君が代の一節を入れることで、日本で開催されるということをシンボライズさせようとしました」と語っています。
 「オリンピック・マーチ」は晴天の開会式で初めて演奏され、国民に深い感動を与えました。東京オリンピックは、この曲に始まり、この曲で終わったといっても過言ではありません。開会式以後、各国から「誰が作曲したのか」との問い合わせが殺到し、古関の名は世界に知れ渡りました。その後「オリンピック・マーチ」は、各地の運動会等でも多数使用され、この曲を知らない人はいないほどでした。当時、多数の作曲家がいましたが、古関に白羽の矢が立ったのは、古関の力量がほかの誰よりも勝っていたからにほかなりません。
■世紀を超えて
 古関メロディーには、数々のスポーツ音楽や校歌・応援歌があります。これは古関音楽が、いつまでも歌い継がれる品位と格調の高さを保持していることを意味するのではないでしょうか。
    メ  モ  
 日本のスーザ 
 アメリカのスーザは「星条旗よ永遠なれ」という名曲を作曲し、米国の「マーチ王」と呼ばれました。日本のマーチ王について作曲家の服部良一は「行進曲は古関さんにかなわない」と言っております。やはり「日本のスーザ」は古関裕而といえるでしょう。 

 


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