【 会津若松・大町通り(上) 】 彼岸獅子...陰で支える 春告げる音色

 
会津赤枝彼岸獅子が長年、お宿に利用している若松食堂。先月の彼岸の入りも末子さん(左から2人目)らが優しく迎え入れた

 雪国・会津の長い冬がようやく終わろうとしている。雪解けで地肌が見え、野山の緑も再び命を吹き返すのは、春の彼岸のころ。街角からは「彼岸獅子」の笛や太鼓の音が響く。人々は春の訪れを感じ、その喜びを勇壮な獅子舞に託す。待ち望んだ春を告げる伝統の光景である。

 会津では、三匹獅子舞を彼岸に舞うため彼岸獅子と呼ぶ。悪霊や邪気を払うとされ、江戸時代に広がった。かつては30カ所ほどで継承されたが、明治以降に次々と姿を消し、現在は10カ所ほどに減った。彼岸の間、地元や近隣市町村に繰り出し、家々を巡って舞う。

 会津若松市の玄関口・JR会津若松駅前から南へ、鶴ケ城方面へと通じている「大町通り」。城下町の歴史を刻んできた街並み、さまざまな業種の老舗や商店が立ち並ぶ。毎年、彼岸の入りに「会津赤枝彼岸獅子」(磐梯町)が商店前などで舞うのが慣例だ。

 「笛太鼓の音色はいつ聞いてもいいね」「やっと春の訪れを実感したよ」。訪問を受けた商店主、音色に誘われた近隣住民が口々に語り出す。熱意を持って伝統芸能を継承してきた「赤枝青年会」、それを支える大町通りの人々が紡いできた歴史の一幕である。

 ◆夫のため守る

 大町通りで、特に赤枝彼岸獅子を支えてきたのは、昭和5年創業でソースカツ丼が人気の「若松食堂」。会津のソースカツ丼発祥の店ともいわれ、継ぎ足しの香ばしいソースは絶品だ。彼岸の入りには毎年、青年会の拠点である「お宿」(休息所)になる。

 「嫁に来て五十数年。彼岸獅子の笛太鼓は聞き飽きないね」。現役で厨房(ちゅうぼう)に立ち、店を切り盛りする斎藤末子さん(80)は目を細める。長女の照枝さん(56)と、朝早くから笑顔で迎え入れ、昼食を提供し、優しく声を掛ける。会津人の感動を陰から支える存在である。

 「夫が大好きだった彼岸獅子を支えることが供養になる」と末子さん。夫である2代目店主・照雄さん=当時(79)=は東日本大震災翌日の3月12日、店の裏にある自宅の土蔵の壁が余震で崩れ、下敷きとなり亡くなった。半世紀を共にした最愛の夫との突然の別れだった。

 告別式は16日。店は翌17日にすぐさま再開した。ちょうど彼岸の入りで、赤枝彼岸獅子を受け入れるためだ。「店は休めなかった。彼岸獅子が来なかったら夫も悲しむから」。末子さんは体の動く限り、ソースカツ丼と彼岸獅子を守っていきたいと決意する。

会津若松・大町通り

 ≫≫≫ ちょっと寄り道 ≪≪≪

 【歴史伝える明治期の店蔵大町通りに面して、明治期に建てられた白漆喰(しっくい)の店蔵2軒が並ぶのが「小野寺漆器店」と「旧大島半兵衛商店」。通りの景観になくてはならない存在だ。大町通り周辺には歴史的な建造物が多く、このあたりが昔から商業の中心地であった面影を伝えている。

会津若松・大町通り

〔写真〕通りに並ぶ「小野寺漆器店」(右)と「旧大島半兵衛商店」の店蔵