【 南相馬・朝日座 】 心が躍る『青春の教室』 市民と映画をつなぐ

 
大正時代の雰囲気を残す建物が、今も訪れた人々を引き付けている「朝日座」

 中心市街地の映画館から外へ出た客は、興奮で火照った顔を夜のひんやりとした空気で落ち着かせながら、満足げにそれぞれの家路に就いた。12人のまちの旦那衆が組合を作って1923(大正12)年に現南相馬市原町区の中心街に開業した、常設の芝居小屋を兼ねた映画館「朝日座」はそんな場所だった。

 23年は関東大震災の年。当時完成したばかりの「原町無線塔」が震災で壊滅的な被害を受けた東京や横浜などの様子を海外へ打電し、世界を驚かせたころ、朝日座は生まれた。12人の旦那衆による組合経営の初代支配人は故・布川実さん。戦後、組合から布川家に譲渡され、2代目・故義雄さん、3代目・故雄幸さんに朝日座の命脈が引き継がれた。

 とりわけ、映画の全盛と衰退のはざまを生きた雄幸さんは、もうけの見込めるヤクザ映画やポルノ映画だけに走らず、芸術的で文学的な映画を原町に持ち込み、市民と映画をつないできた。戦後、国民は飢えに苦しみながらも、芸術や文化復興の意欲に燃えていた。

 ◆文化の中心地

 「朝日座は文化の中心地。私にとって青春の教室だった」。南相馬市歴史専門調査員で朝日座に魅了され続けてきた二上英朗さん(64)=福島市=は振り返る。毎日のように映画を映す「映画常設館」は当時最先端のメディアだった。新しい芝居が来ると、役者の「顔見せ」という行列が、夜に演じる芝居の服装のまま人力車に乗って練り歩いた。まるで相馬野馬追の行列のように、道の両側で心躍らせる市民の姿があった。

 東町一番丁通り。朝日座の目の前を通る小さな通りには飲食店や菓子屋などの商店が所狭しと軒を連ね、まさに原町の中心地だった。しかし娯楽の主役は次第にテレビへと移り、朝日座の観客は減少。活気あふれた街並みも姿を変えていった。

 朝日座は惜しまれつつも91年に閉館。映画の常設館としての70年の歴史に幕を下ろした。閉館してからも、建物の所有者や市民グループの協力で映画の上映、落語寄席などが行われ、大正時代の雰囲気を残す建物が今も人々の心を引き付けている。映画と芝居の風土が残る現在の南相馬に、芸術の新たな息吹が吹き込まれつつある。

南相馬・朝日座

 ≫≫≫ ちょっと寄り道 ≪≪≪

 【食堂が待ち合わせ場所に】「この食堂を朝日座の待ち合わせ場所にする人が多かった」。朝日座の目の前にたたずむ飲食店「あさひ食堂」の2代目店主高平康幸さん(67)は振り返る。店の名は朝日座から取り、今でも創業以来変わらないラーメンや定食、丼などの豊富なメニューが並ぶ。営業時間は午前11時~午後1時45分。

南相馬・朝日座

〔写真〕創業以来変わらず豊富なメニューが並ぶあさひ食堂