【 三春・城下町の今昔(上) 】 信念貫いた歴史の顔 自然美と共演

 
河野広中の銅像が立つ自由民権ひろばでは、イチョウの黄葉の美しさと威厳が共演する

 旧城下町の三春町。町役場脇の「自由民権ひろば」には、立派な口ひげをたくわえた男性の銅像が建てられている。明治時代に国民の権利獲得のために奮闘した、三春出身の政治家河野広中をたたえるものだ。広場にはシダレザクラとイチョウの木があり、季節ごとに銅像の威厳と自然の美しさが共演する。

 広場近くに観光バスなどの駐車場があり、町内外から人が足を運ぶ。町観光ガイドの会の佐久間佳子さん(76)は銅像を「三春の歴史的な顔」と紹介している。

 広場のシダレザクラは、同町にある国指定天然記念物の三春滝桜の「標本木」として使われる。滝桜は県内随一の桜の観光スポット。数キロほどの距離に両木があるため、開花状況が似ている。佐久間さんは「ここ(広場)の桜が満開だから、滝桜も見ごろです」というように説明している。ただ「(観光客は)滝桜に行ったきり、街なかには帰ってこない。もっと多くの名所を見てほしい」と訴える。

 ◆衆院選・連続14回当選

 「銅像を見て『板垣さんかと思った』と言われることもある」。広場近くの自由民権記念館長の山口晋さん(59)は複雑な表情を浮かべる。「板垣さん」とは自由民権運動で活躍した板垣退助。「西の板垣、東の河野」と評された。教科書や書物の露出度を考えると、「両雄」の全国的な知名度では「西」に軍配が上がるのかもしれない。

 あらためて広中の経歴を記したい。国民の国政参加を目指して活動したが、明治政府に弾圧された。しかし、携わった自由民権運動は全国的に広がり、大日本帝国憲法発布や帝国議会成立につながった。山口さんが言う「信念を貫いた人」との表現が合う。広中は衆院選で連続14回の当選。1度も負けることなく74年で生涯を閉じた。

 自由民権運動100年を機に、住民や町議が「遺徳顕彰会」をつくった。1982(昭和57)年に町内外からの寄付を基に銅像を建立。2006年、「もっと目立つ場所に」と100メートルほど国道寄りに移設されたのが現在地だ。観光名所にもなった。一方で顕彰会は解散、慰霊の儀式も途絶えている。広中の功績をたどる手だてはもう数少ない。

 山口さんは「銅像があることで代々語り継ぐことができる」と力を込める。「地元の子どもたちが郷土の偉人を知ることに意義がある」と話す佐久間さんは、町内の小学校で伝承活動をしている。町民の思いは重なる。

 銅像は晩年の演説会の写真がモデルになっている。広中は地方遊説に力を入れたという。もし今の時代に生きていたなら何を語り、何を訴え、国の将来をどう描いたか。銅像はただ前だけを見据えている。

三春・城下町の今昔(上)

 ≫≫≫ ちょっと寄り道 ≪≪≪

 【河野広中の愛用品紹介】三春町の自由民権記念館では、河野広中が使っていた机や手袋、つえ、シルクハットなどの遺品を並べ、自由民権運動の資料を展示している。月曜日休館。料金は一般・大学生300円、小・中学・高校生150円。

三春・城下町の今昔(上)

〔写真〕広中の遺品が並ぶ自由民権記念館