【 川俣・小手姫と絹織りの町(下) 】 コスキン...中南米の文化共鳴
中南米音楽祭「コスキン・エン・ハポン」。織機のリズムが街中にこだまし、機織り業最盛期でもあった40年以上前の川俣町で始まった音楽祭だ。中南米には行ったことがなくても、どこか懐かしい感じを抱かせる音楽「フォルクローレ」の響きは町にとって秋の合図だ。
アルゼンチンの都市の名前コスキンの愛称で親しまれる音楽祭は国内外の一流演奏家を含む180組近いグループが夜中まで演奏を繰り広げる、名実ともに国内最大規模の中南米音楽祭だ。毎年、3日間で1万人以上の出演者や観客が町を訪れる。
「小さいながらも文化あふれる町なんだ」。町内の機織り会社斎脩絹織物社長でコスキン・エン・ハポン事務局長の斎藤寛幸さん(61)は胸を張る。輸出用の川俣羽二重の生産で町内の機屋が活気づいていた昭和期、町内に横浜市の商人が取引のために頻繁に訪れていた。海外とも直接やりとりする商人は、多彩な文化をもたらした。
織機のリズム
コスキンは、機織り業を営みながら中南米音楽の魅力にはまった故長沼康光さんが、他県の愛好者とともに1975(昭和50)年に初めて開いた。第1回の出演者はわずか13組、夕方から半日のみの開催だった。
当初は、愛好者が住む土地の持ち回りで開催するはずだった。だが、初回の演奏者の目には、周囲を山々に囲まれた川俣の地とフォルクローレが栄えたアンデス山脈の景色とが重なった。
「一部の愛好者による音楽祭」と町民から嘲笑されていたコスキンに転機が訪れたのは、約20年前。本場アルゼンチン・コスキン市の「コスキンフェスティバル」で繰り広げられるパレードを町内でも実施すると、町民の参加者も増えた。「川俣の織機と、(ボリビア音楽の)『タキラリ』のリズムは一緒だからねって」。生前の長沼さんが満足そうに語った姿は、斎藤さんの脳裏に今も鮮烈に残っている。
斎藤さんは続ける。「川俣の食文化の川俣シャモも、かつて機織りの亭主らが趣味としていた闘鶏から派生したもの。川俣のあらゆる文化の根底に必ず織物文化がある」
町内を一望できる町中央公園には絹文化を象徴する、高さ約8メートルの「小手姫像」がある。夕日が沈むのに合わせて揺れ動く木々の影は、フォルクローレに耳を傾けながら小手姫が織る絹の糸にも見える。
≫≫≫ ちょっと寄り道 ≪≪≪
【機織り工場を一部改装】コスキン・エン・ハポンのサブ会場の絹蔵は、機織り工場を一部改装して造られた。温度や湿度を一定に保つために窓が多かった工場の雰囲気を味わえる。養蚕や機織りの最盛期の川俣町の様子を示す写真が展示されているほか、喫茶スペースで川俣シャモを使ったシャモカレーなどを食べることができる。日曜日と祝日は休み。
〔写真〕コスキンサブ会場になる絹蔵。天井が高く、窓が多い機織り工場の様子が色濃く残っている
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