【 郡山・さくら通り商店街(上) 】 連なる店...戦後奇策が復興導く
JR郡山駅から駅前大通りを西に約6分歩き、県道17号(旧国道4号)を渡ると左カーブの上り坂(八幡坂)にさしかかる。郡山市の中心市街地を東西に結ぶ「さくら通り」の起点。朝夕の通勤通学時は交通量が多く、渋滞になることも多い。もとは「さくば道」(農道)で、開成山へ花見に行く時に人々が通ったことから「さくら通り」と呼ばれるようになった。八幡坂両側の距離約600メートルには古着屋や花屋、ライブハウスなどが軒を連ねている。
坂の中腹にあるのが郡山の総鎮守安積国造(あさかくにつこ)神社。「八幡様」として親しまれ、初詣や秋季例大祭、七五三などでにぎわう。同神社は、比止祢命(ひとねのみこと)が初代の安積国造となって赴任した時、五穀の神・和久産巣日神(わくむすびのかみ)と祖神・天湯津彦命(あめのゆつひこのみこと)をまつったのが始まりとされる。古代の安積国は現在の郡山市や田村市、二本松市にわたる大領だった。校名や地名などに使われる「安積」は太古からの地名で、もとは「阿尺」と書いた。国が、郡・郷の名を縁起の良いものにするよう指令を出したことから「阿尺」を縁起が良いとされる字を使い「安積」に改めたという。
境内貸し出す
どのようにして現在のように店が立ち並ぶ、さくら通りを形成するようになったのか。答えは神社の第62代宮司安藤貞重(故人)の異例のまちづくり策にあった。太平洋戦争の敗戦に直面した貞重は終戦後の1948(昭和23)年、「人々に生業(なりわい)を与えて復興を助けるのが神意にかなう」と、境内の周囲を約60カ所の区画にし、希望者に貸し出した。人々がそれぞれ店を構えたことでまちに再び、にぎわいが生まれた。映画ブームに乗り映画館も建てられ、多くの市民が集まった。
郡山市は65年、安積郡ほか周辺町村と合併し、新郡山市が誕生、新産業都市へと変貌を遂げていく。さくら通り商店街振興組合会長で十字屋楽器店の杉山隆彦さん(63)は「かつて神社周辺には小道が多くあり、かくれんぼをして遊んだ。映画を楽しんだのも思い出」と懐かしむ。「安積国造神社によって地域が守られている。境内を借りたことで私たちも生活が成り立ち、それぞれ生業を通じて、にぎわいを創り出している」と話す。
第64代安藤智重宮司(50)は「神様とご縁が深い商店街として、今後とも神社に協力してもらいたい」と、さくら通り商店街の発展を願う。
≫≫≫ ちょっと寄り道 ≪≪≪
【種類豊富な串焼きが名物】創業40年の老舗「酒蔵 太平山」の名物は、20種類以上の串焼き。トマト串焼きやアスパラガス、つくねなどを塩、タレで味わえる。新鮮な刺し身や創業以来の「お新香」も人気メニュー。10月~来年3月まで、きりたんぽ鍋も販売している。ふぐひれ酒やラーメンも好評だ。時間は午後5時~同11時。定休日は日曜日と祝日。
〔写真〕串焼きや新鮮な刺し身を味わえる「酒蔵 太平山」
- 【 二本松・旧裏町 】 人と人...結んで元気に 社交場的な感覚がいい
- 【 いわき・植田の歩行者天国 】 継続が生んだ可能性 街支える力に
- 【 国見・あつかし歴史館 】 思い出の場所...『形変え』生きる学びや
- 【 猪苗代・中ノ沢温泉 】 流れ着いた男...温かい名湯と人情とりこに
- 【 いわきとアート(下) 】 多様さ生み育む『潮目』 本物を求めて
- 【 いわきとアート(上) 】 この店から始まった 病負けず創作活動
- 【 柳津・斎藤清晩年の地 】 求め続けた『古里の美』 消えない思い
- 【 須賀川・赤トリヰ 】 『夢の跡』また集う場に 笑顔あふれるよう
- 【 福島・土湯温泉(下) 】 荒波を越えて悠然と 温泉街のシンボル
- 【 福島・土湯温泉(上) 】 湯気の先に『職人の魂』 季節で味変化