【 白河・よみがえる本町 】 町の財産に『新たな光』 宿場で栄える
白河市の小峰城跡を背にJR白河駅から南へ徒歩5分。現代人も悩ます城下町ならではの鍵形の道路(国道294号・旧奥州街道)を抜けると宿場町などとして栄えた「本町」にさしかかる。東北の玄関口「白河の関」を通過した「つわもの」たちの姿を想像してみる。
同町の存在が確認できるのは約700~800年前から。鎌倉後期から南北朝時代、白河地域を支配していた白河結城氏2代目宗広の長男親朝は経済的な利便性を求め同地域に館を建設。同町を中心に交易など経済活動があったことが現在の住民によって調査されている。
江戸時代に入ると町の経済が加速した。同町の歴史を研究する遠藤喜久雄さん(78)は「白河の馬市には全国から人が集まった」と解説する。東北と関東を結ぶ白河には人があふれ、宿泊施設も増えたと考えられている。遠藤さんの先祖は関ケ原の戦いの後、白河の地に落ち延びた武将で、本町で旅館を始めたと伝わっているという。
参勤交代の制度が始まると、江戸と地方の国元を往来する東北諸国の大名たちが宿泊する「本陣」や「脇本陣」などが整備され、「最盛期には約100世帯のうち半数が旅館だった」と遠藤さん。戊辰戦争白河口の戦いでは、新選組の斎藤一らが宿営、明治天皇も東北などの巡幸の際に宿泊している。
明治時代の2回の大火を経て、大正初期に劇場「共楽座」などが完成、大正ロマンが花開いた。「白河ラーメン」の元祖とされる2代目「亀源」が始まったのもこの頃。映画などの観賞後、締めの一杯として昭和中期までラーメンの屋台が軒を連ねていた。
高度経済成長期の工業化で栄えていた馬市は姿を消し、東北新幹線の開通で人の流れも変わった。平成に入る頃には本町から活気が失われていった。
◆若者の声反映
町では今、若者たちによって新たな息吹がもたらされつつある。昨年3月に旅館だったという建物が改築され、若者の交流拠点「カフェ・エマノン」がオープンした。高校生らであふれ、ミニシアター、音楽会などのイベントが繰り広げられている。いずれも地元の若者のアイデアだ。老朽化していた脇本陣も改修が進み、来年4月に一般公開される。斎藤一も使用した可能性のある隠し階段なども見学できる。
エマノンを運営する青砥和希さん(26)は「若者が自由な発想で挑戦できる場所を今後も提供したい」と未来を見据える。未知なる東北に風流を求めた松尾芭蕉、国に殉じた幕末の志士がそれぞれ思いを巡らしたであろう白河で始まった「わかもの」たちの試み。かつての「つわもの」たちはどのような顔で見守っているのだろう。
≫≫≫ ちょっと寄り道 ≪≪≪
【素材にこだわり愛される和菓子】江戸末期の1863(文久3)年創業。季節に合わせた約30~40種類の和菓子などを取りそろえる「菓子舗 玉家」。こしあんを牛皮で包み、粉糖をまぶした餅菓子「烏羽玉(うばたま)」がおすすめ。きな粉をまぶした期間限定(11~5月)の「うぐいす」も人気だ。白河藩主から「御用」の看板を受け、素材にこだわった昔ながらのお菓子が味にうるさい市民に愛されている。営業時間は午前9時~午後5時。定休日は水曜日。
〔写真〕市民に愛され続ける烏羽玉やうぐいすなどの玉家自慢のラインアップ
- 【 二本松・旧裏町 】 人と人...結んで元気に 社交場的な感覚がいい
- 【 いわき・植田の歩行者天国 】 継続が生んだ可能性 街支える力に
- 【 国見・あつかし歴史館 】 思い出の場所...『形変え』生きる学びや
- 【 猪苗代・中ノ沢温泉 】 流れ着いた男...温かい名湯と人情とりこに
- 【 いわきとアート(下) 】 多様さ生み育む『潮目』 本物を求めて
- 【 いわきとアート(上) 】 この店から始まった 病負けず創作活動
- 【 柳津・斎藤清晩年の地 】 求め続けた『古里の美』 消えない思い
- 【 須賀川・赤トリヰ 】 『夢の跡』また集う場に 笑顔あふれるよう
- 【 福島・土湯温泉(下) 】 荒波を越えて悠然と 温泉街のシンボル
- 【 福島・土湯温泉(上) 】 湯気の先に『職人の魂』 季節で味変化