【 いわきとアート(上) 】 この店から始まった 病負けず創作活動
目を引く喫茶店がある。JRいわき駅南口から歩いて7、8分。店舗1階部分の駐車場には形容の難しい芸術作品が所狭しと並んでいる。「喫茶ブルボン」。まちなかの通り沿いにありながら、シャッターが閉まっていることが多い。営業しているのか、していないのか―。
同店は、2016(平成28)年4月に91歳で亡くなった宮崎甲子男さんが営んでいた。現在は孫の会田勝康さん(35)が引き継ぎ、友人の協力を得て不定期で営業している。通り向かいの丸仙鮮魚店の営業時間中は駐車場部分を開放し、喫茶店の営業日以外も作品を見られるようにしているという。
店内に入ると、芸術のジャングルに迷い込んだかのような錯覚に陥る。神仏を表現した木彫り作品から、女性をモチーフにした立体作品、アニメのようなイラストまで。どの席に座っても、どこに目をやっても作品だらけ。作品は全て宮崎さんが制作したという。「じいちゃんはドクターストップがかかるたびに作風が変わった」と会田さん。けんしょう炎になると、木彫りをやめてプラスチックのような独自素材を編み出し、独自素材の生成に伴い呼吸器を患った後は絵を描いたり、皿を使ったデコレーション作品などを作った。創作意欲が枯れることはなかった。作品は売らなかった。お客さんに見てもらうのが好きだったようで、気に入った人にはプレゼントした。
実はこの平店は2号店。1号店は1972年に新舞子の海が見える場所にオープンした。晩年の宮崎さんは、平店で常連客に朝のコーヒーを提供した後、アトリエにしていた新舞子店で創作活動に打ち込んだ。作品の材料は新舞子の浜辺で集めた。会田さんは流木やブイなどの漂流物を一緒に拾い歩いた。「『芸術は海からやってくるんだぞ』と聞かされていた」
◆表現が持つ力
次々に作品を生み出していく宮崎さんの姿は、会田さんに大きな影響を与えた。東日本大震災後、東京からいわきに戻った会田さんは、原発事故後の閉塞(へいそく)感を打破するために文化や芸術の力が必要だと感じた。「言葉は誤解を生むけれど、芸術の『表現』によって崩せる」
行動を起こした一つが「いわきまちなかアートフェスティバル玄玄天」。平地区を中心としたまちなかに現代アート作品を展示する芸術祭で、2014年に始まった。多い時で市内外から約50人の現代作家を招き、既存の建物や風景に合わせて作品を制作してもらった。会田さんは現代アートの魅力を「同時代を生きている人が、今の社会を反映しながら何か残そうと表現を生んでいく。そこにエネルギーを感じ、触れられる喜びがある」と語る。玄玄天はこれまで4回開催し、いわきを舞台に表現活動をしたいという作家も増えてきた。おじいさんの喫茶店から生まれた情熱がまちなかに広がっている。
≫≫≫ ちょっと寄り道 ≪≪≪
【老舗衣料品店...2階は別の顔】いわき市平字三町目の老舗衣料品店「もりたか屋」。2階部分は長年使われていなかったが、震災後に同店の会田勝康さんがアートスペースに改装。会田さんがイベントの企画運営を手掛け、アート展示やライブなどに使われている。今年1年間は少し変わったスライドショーを開催中。
〔写真〕2階がアートスペースに生まれ変わった「もりたか屋」
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