【 国見・あつかし歴史館 】 思い出の場所...『形変え』生きる学びや
国見町大木戸に立つ、古い校舎。見上げれば、後ろには町のシンボルである阿津賀志山が悠々とこちらを見下ろしている。
かつて、この周辺は戦場だった。平安時代から鎌倉時代への転換期だった1189(文治5)年に源頼朝と東北を治めていた奥州藤原氏が争った奥州合戦。「合戦の最初で最大の戦いが国見町の地であったんです」。町歴史文化資料調査員の笠松金次さん(66)は解説する。
奥州藤原氏2万余りの兵と、鎌倉から北上してきた頼朝軍が衝突した。頼朝軍の兵数は分かっていないが、奥州藤原氏を大きく上回ったとみられる。戦いは3日間繰り広げられた。激闘の一因となったのは「阿津賀志山防塁」。奥州藤原氏が頼朝軍に攻め入られるのを前に約3.2キロの防塁を造った。今でも遺構は多く残り、国史跡に指定されている。
ただ、抵抗むなしく、戦いは頼朝軍が勝利。大きな打撃を受けた奥州藤原氏は滅亡に追い込まれた。
◆閉校後に改修
奥州合戦から約700年後、この地に小学校が立った。旧大木戸小だ。1940年代には500人近い児童が通っていたが、数は徐々に減少。2012(平成24)年に町内5校が集約されるのに伴い、閉校となった。
町は閉校後、校舎を歴史継承の場にしようと改修。町文化財センター「あつかし歴史館」として昨年1月にオープンさせた。職員室だった場所は展示スペースに。阿津賀志山防塁の模型などが並び、町の貴重な歴史を伝えている。
一方で校長室だった部屋には、つい最近撮られた、子どもたちが遊ぶ姿の写真が壁に張り出されている。同館では小学校ではなくなった今でも時折、子どもたちの笑顔が見られる。住民が主体となり、定期的にイベントを開催しているからだ。
5月には校庭に100匹のこいのぼりが舞い、2月25日には館内にひな人形が飾られた。どちらも住民が貸し出したものだ。ほかにも数々のイベントが開かれ、そのたびに子どもたちの笑い声が再び、学びやに戻ってくる。
「小学校だった頃のように住民の心のよりどころとして残さなければ」。旧大木戸小卒業生で、大木戸歴史まちづくりの会会長の阿部初男さん(74)はそんな思いから、住民同士の交流を生むようなイベントを企画している。
館内からも阿津賀志山はよく見える。戦乱や活気、その後の寂しさも見てきた阿津賀志山は今、この場所をどのように見ているのだろう。
≫≫≫ ちょっと寄り道 ≪≪≪
【頼朝軍苦しめた二重堀構造】阿津賀志山防塁は阿津賀志山中腹から阿武隈川にかけて造られた。二重の堀と三重の土塁からなる二重堀構造。奥州藤原氏は防塁を越えようとしてくる頼朝軍の兵を弓矢や投石で攻撃した。国見町西大枝字原前にある下二重堀地区防塁では今も遺構が良好に残る。見学自由。
〔写真〕良好な状態で残っている下二重堀地区の阿津賀志山防塁だ
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