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  【 福島の万葉歌碑TOP 】
「真野」(南相馬)
みちのくの真野の草原遠けども面影にして見ゆといふものを
 
 歌に託す家族への思い

 昭和35年10月、南相馬市鹿島区(旧鹿島町)真野の万葉公園グラウンド(桜平山(さくらだやま)公園)の東端に、

 みちのくの真野の草原(かやはら)遠 けども面影にして見ゆと いふものを
   (巻3・396)

の歌碑が建立された。

 建立者は万葉歌碑建設期成同盟会である。揮毫(きごう)は現皇后陛下の書道の師・藤岡保子(万葉研究家)である。

 碑陰には「笠女郎贈大伴宿禰家持歌/陸奥之真野乃草原雖遠面影為而所見云物乎」と刻んである。

 戦後、真野の実地調査に尽力した扇畑忠雄(万葉学者、東北大学名誉教授)の発意による建立である。

 この歌は笠女郎(かさのいらつめ)が大伴家持に贈った三首連作の中の一首であり、本県ゆかりの万葉歌のうち、唯一作者の分かっている歌である。

 歌意は「真野の草原があんなに遠くても面影に見えてくると申しますのに(近くにいても逢あえませんね)」である。

 この歌は譬喩(ひゆ)歌であるが、解釈が一定していないようである。扇畑忠雄は「とふ」という伝聞形式の表現を重く見て、「みちのくの真野の草原遠けども面影にして見ゆ」を一種の成句と案じ、当時、家持や笠女郎が住んでいた大和で、これに似た句が広く伝誦(でんしょう)されていたのではないかと考察している。それを笠女郎が詞句として、このように整理するとともに、引用して「と世人がもうしておりますものを」と機智的に表現し、成句にこめられたみちのくへの係恋の情に、自分の家持に対する思慕の念を逆説的に譬喩した一首と解している。(「万葉集における伝承の一形態」参照)

 真野川は、阿武隈山地七郷森に源を発して太平洋に注いでいるが、その流域に広がるのが鹿島町(現原町市鹿島区)である。遠く縄文、弥生時代から集落ができ、昭和23年に慶応大学考古学教室によって発掘調査された真野古墳群からは多種多様の副葬品が出土しており、その後も国士舘大学の手によって発掘調査が進められている。

 扇畑忠雄は「『みちのくの真野』は二人にとって未見未踏の土地であったはずである。遠いということを表すためには、僻遠(へきえん)の土地であったならどこでもよかったかもしれない。しかし、たまたま選ばれた地名にしては、それが序的部分とはいいながら、一首の中にきわめて密着していて、うごかしがたい感をあたえる」「真野というのは、真草の生えている野の意であろうから、どこでも在りえたはずである。それが、摂津国もしくは陸奥国の真野として固有的に呼ばれるようになったのは、真草の群生なりその景観なりが、とくにいちじるしかったためであろう。普通名詞が、固有名詞に転じていった一例である」と述べている。(「万葉集の発想の一形態」―みちのくのまののかやはら―参照)

 同公園の西端には「みちのく真野万葉植物園」があり、近くに斎藤茂吉歌碑(みちのくの相馬郡の馬のむれあかときの雲に浮けるがごとし、平成3年3月22日建立)も建てられている。

 万葉の故地たる鹿島においては、毎年、「万葉の里短歌大会」が開かれている。(敬称略)

 (福島短歌研究会会長)
福島の万葉歌碑

今野 金哉

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「真野」(南相馬)

万葉公園グラウンドに建つ「真野の歌碑」


「真野」(南相馬)

【2008年2月6日付】
 

 

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