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伝承地めぐり本家争い
福島県内に「安積山」(巻16・3807)の歌碑は2基ある。
その1つは、郡山市日和田町にある安積山公園に建つ歌碑であり、碑文は、
あさか山影さへ見ゆる山の井の浅き心をわが思(も)はなくに
采女(うねめ)歌 正三位尊福書である。碑陰には「立太子礼記念 大正5年11月3日」とある。高さが約1.2メートル、幅約0.7メートルである。
元禄2(1689)年、芭蕉は『奥の細道』の旅でこの安積山を訪れたが、ここに来て芭蕉も随行の曾良も不思議に思ったのである。曾良は『随行日記』に、安積山の伝承地に2説があることを記録している。
「…ヒハダノ宿、馬次也。町はづれ五、六丁程過テ、あさか山有。壱リ塚ノキハ也。右ノ方ニ有小山也。アサカノ沼、左ノ方谷也。皆田ニ成、沼モ少残ル。惣テソノ辺山ヨリ水出ル故、いづれの谷にも田有。いにしへ皆沼ナラント思也。山ノ井ハコレヨリ西ノ方三リ程間有テ、帷子ト云村ニ山ノ井清水ト云有。古ノにや、ふしん也。……」
その2つは郡山市片平町の「山ノ井公園」にある歌碑である。同所には「山の井清水」があり、丘の頂には采女神社(祭神葛城王)がある。歌碑は清水の直近に建つ。高さ約1.8メートル、幅約0.9メートルである。碑面には「御即位記念」の篆額があり、揮毫(きごう)は御歌所参候(さんこう)源英一。碑陰に建碑の経緯、協力者氏名及び「大正4年霜月 片平青年会」とある。
『万葉集』から采女伝説が生まれ、毎年、この伝説に因(ちな)んだ「郡山采女まつり」が行われているが、伝説は史実ではないため、明治時代には「山の井」について、日和田町と片平町との間に本家争いがあった。その争いで後者に軍配を上げたのが采女神社から西南1キロのところにある王宮伊豆神社の碑である。
今に伝えられる采女伝説には諸説があるが、概略次のような悲恋物語である。
奈良の都が栄えていたころ、片平に小糠次郎と春姫という夫婦が住んでいた。次郎は春姫を愛するあまり、畑で働くにも絵姿を木にかけて眺めていた。あるとき都から按察使(あぜち)として葛城王が派遣された。一陣の風とともに春姫の絵姿が木から飛び去り葛城王のもとに落ちた。王はその絵をたいへん気に入られ、王をもてなす宴の席に春姫を招いた。そこでも春姫は王にたいそう気に入られ、奈良の宮廷に召された。次郎は泣く泣く春姫を見送り、現在のささやき橋(安積町日出山)で最後の別れをした。春姫は帝に仕え采女として寵愛(ちょうあい)を受けたが、愛する次郎を忘れることができず、ある夜、猿沢の池に衣をかけて入水したと見せかけ安積の里に戻る。しかし、時すでに遅く、次郎は春姫恋しさにこがれ死んでいた。生きる望みを絶たれた春姫は山の井に身を投じた。
なお、「安積山」については郡山市西方の額取山(1008.7メートル)であるという説が一般的である。(敬称略)
(福島短歌研究会会長) |
今野 金哉
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安積山公園の歌碑
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山ノ井公園の歌碑
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【2008年2月20日付】
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