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 社会の多様な幅 再評価

 辻が『田沼時代』を執筆した背後には、個人主義や自由思想を標榜(ひょうぼう)する大正デモクラシーがあった。辻は、田沼時代を政治の民衆化、民権主義、因襲の打破といった局面からとらえなおし、田沼時代を「新日本の幕開き」とし、「幕末開国の糸口はこの時代に開かれた」と評価したのである。

 自由民主制が否定され、政党政治が衰え、ファシズムが台頭する昭和初期になると、田沼時代を積極的に評価しようとする動きも薄らいだ。

 しかし戦後になると、社会経済史・文学史・美術史などの諸領域の研究調査が進み、田沼時代を社会変革・文芸や蘭学などの隆盛した時代として再評価してきた。
 『田沼時代』を批判しつつも、田沼時代を再評価した一点に、大石慎三郎著『田沼意次の時代』(岩波書店)がある。大石は、辻の使用した『植崎九八郎上書』『甲子夜話』『伊達家文書』などの文献に疑問を投げかけた。

 意次の腐敗政治を批判した『植崎九八郎上書』は、小普請(こぶしん)組所属の旗本植崎九八郎が、意次老中罷免後の天明7(1787)年7月に上書したものである。

 大石は、植崎の松平定信罷免後の定信批判から、植崎を政権に対する不満分子とし、『植崎九八郎上書』を採用できない史料という。

 また『甲子夜話』は、松浦静山が文政4(1821)年11月甲子の夜に起稿し、その後20年間書き続けた随筆である。つまり田沼時代から、かなりの時間を経た史料であって正確さに欠けるとされる。

 さらに静山の叔母は本多忠籌(ただかず)の妻で、静山の妻の兄は松平信明である。本多忠籌と松平信明は、のちに詳述するが、定信の右腕ともなった盟友である。

 つまり松浦静山は、定信派に属する人物であるため、『甲子夜話』は気軽に使える史料でない、と大石は指摘する。

 大石は、史料の信憑(しんぴょう)性を、自らの出世のために発言する植崎のような人間性に、好意的な見解を述べる静山のような同派同属性に、そして執筆された時間的隔たりにおいた。そこで正確さに欠けるとか、使えない史料とか判断したのである。

 こうした傾向は、確かにあるかもしれない。しかし、これらはあくまでも一般的傾向であり、必ずしも文献の真偽を判断する科学的根拠とはならないであろう。

 ともあれ辻の使用した文献を一つ一つ吟味した大石は、意次の賄賂(わいろ)、腐敗政治をどれもが作為された悪事・悪評だとする。そして「多様な幅の人間を生みだした田沼時代の社会の幅を評価したい」と好意的に述べるのである。

磯崎 康彦

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「福島県青年読本」に載る松平定信像

【2008年4月16日付】
 

 

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