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  【 松平定信公伝TOP 】
【 定信の人物史観(下) 】
 
 徳育の指標に祭り上げ

 忠孝については、『退閑雑記』や『花月草紙』で取り上げられる。「君をたすけ国を治るは、忠のいとおもきもの」と言う定信は、万世一系の天子、親への忠孝を掲げる天皇制国家主義に合致する人物であった。

 教育勅語が配布されると、地方の徳育・修身は勅語に即して展開された。学校現場では、児童らに朝夕教育勅語が読まれても、その内容は難しくて理解できなかったであろう。代わって1人の人物を取り上げ、その人物の行いや考えを教える方が、忠孝の内容を分かりやすくさせた。

 では、定信のおひざ元である本県では、定信を学校教育でどう扱ったのであろうか。県教育会は、『福島県偉人事蹟』や『福島県青年読本』などいろいろな読本を編纂(へんさん)した。

 明治26(1893)年発行の『福島県郷土史談』に定信が載る。定信の生涯について2、3ページにすぎないが、生涯を述べる前に「感忠銘」を挙げる。「感忠銘ハ、白河の東十八丁許大沼村搦目(からめ)にあり(中略)文化年間、松平楽翁公、其古墟の北面断巌絶壁中に感忠銘の三文字を題し、其臣広瀬典、文章を綴(つづ)りて、其下に鏤刻(るこく)し、以て千載に伝ふといふ」と挿図を入れて紹介する。そして定信を「文を修め、武を講じ、忠良を挙げ、奸邪(かんじゃ)を黜(しりぞ)け」たとする。

 明治44(1911)年の県教育会編纂『福島県偉人事蹟』では、定信の「倹素(けんそ)」をまず取り上げ、「身常に粗衣を着し、食膳常に一菜なり、同僚之を見て遽(にわ)かに衣食を節する」という。

 そして治績・営皇居・殖産・致仕の項目をたて、簡単に説明している。

 大正6(1917)年の県教育会編纂『福島県青年読本』(本科用第一巻)に定信を「一代の名君」として4ページの伝記を載せる。大田南畝の有名な狂歌に「世の中に、蚊ほどうるさきものはなし、ぶんぶんといひて寝てもいられず」というのがある。

 これを寛政改革の批判ととらえるのでなく、定信が「如何(いか)に文武両道を勧奨したるかを見るべし」とするのである。

 これらの定信伝は、定信の正確な事跡を重視するより、定信の精神を学ぶことに主眼が置かれた。先の『福島県偉人事蹟』に載る定信の「殖産」の項には、「司馬江漢と永田善吉を窃(ひそ)かに和蘭(おらんだ)につかはし、油絵及銅版の術を起したるが如き」という始末であった。児童は一汁一菜という質素な食事でも、定信のように文武に励めば、やがて立身出世できると学び取ることが大切であった。

 定信は子供らにとって目指すべき人物で、学校教育における理想的な指標に祭り上げられた。定信の賢相としての評価は、読本や顕彰碑などを通し中央から地方へ広く浸透し定着したのである。
(福島大名誉教授)


磯崎 康彦

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「其正義不謀其利」松平定信書
「其正義不謀其利」松平定信書

【2008年5月14日付】
 

 

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