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  【 松平定信公伝TOP 】
【 幕藩体制の矛盾 】
 
 都市と農村に階級格差

 宝暦から天明期は、幕藩体制の矛盾が表面化し、体制の構造が揺らいだ時期であった。

 封建社会にあって支配的であった土地経済は、農村における商品生産の発展とともにその質を変えた。商品生産が増大したとはいえ、その流通構造は大都市の富裕商人によって組織化され、商品生産を担う農民は、直接市場に参加することを遮られた。都市の機構体制を農村に持ち込んだところに、矛盾を生じさせたのである。

 こうした状況のなか、商品貨幣経済が入り込み、豪農と貧農という農民層の分化が進んだ。宝暦期に頂点に達した享保改革の年貢増徴策のもと、農民は領主と対立し、過酷な収奪にあえぎ、貧農層が続出した。本百姓の没落と水呑(みずのみ)百姓の増大である。さらに追い打ちをかけるように、天災や冷害が続いて飢饉(ききん)となり、農地は荒廃し、農民は窮乏したのである。

 都市も農村と同じように、階層格差の広がった時期であった。富裕商人層と店借たながり、地借、無宿、浮浪人層という上層と下層に分化された。さらに農業を離脱した下層農民が都市へ流入し、都市下層民となった。

 都市下層民はその数を増すにつれ、変革的意識に目覚め、上層民と対立し、天明期に打ちこわしという形で頂点に達した。都市下層民が、反体制に変貌(へんぼう)する時期でもあった。

 農村や都市の階層格差は、支配階級でもみられた。上層武士と下層武士である。寄合(よりあい)、小普請(こぶしん)といった非役の武士は、賄賂(わいろ)によって登用可能となる田沼時代にあって、能力があっても要職を得られないことに不満を募らせた。

 やがてこうした小禄武士の間から、幕政や社会に批判的精神を持つ者が現れてくるのである。

 経済や社会が変質し、幕藩体制の構造が揺らぎ出すなか、危機意識を持った学者らにより新しい思想や学問が育て上げられた。

 宝暦・明和・寛政期に出た賀茂真淵(まぶち)と門人本居宣長(のりなが)である。真淵は儒仏二教を排斥し、わが国独特古代精神を明らかにしようと、『国意考』を著した。古道論のみならず、『万葉考』『冠辞考』『源氏物語新釈』なども著し、歌学や物語文学など幅広く追求し、国学研究を体系化した。

 真淵の県居(あがたい)塾出身の宣長は、一方で契冲(けいちゅう)の学風を継承して古典研究を進め、他方で真淵の古道論を追求した。広汎な研究であるが、その中心は『古事記伝』49巻で、寛政10年、69歳のとき完結した。これにより古道論を復古神道の拠よりどころとさせたのである。

 幕藩体制を肯定する国学に対し、これを不定し、「自然世」という階級のない社会を主張したのは安藤昌益であった。神儒仏、またキリシタンの教学も否定し、すべての人が行う「直耕」に寄生している武士・僧侶・学者らの階級を攻撃した。

 他方、新井白石が『西洋紀聞』を著し、西洋学芸の優れた点を認識させて以来、「蘭学の春」を迎えたのは田沼時代であった。蘭学は、オランダ語学習のほか医学・地理・天文学、さらに本草学や化学など、その範囲を広げていった。

 国学や蘭学は、自然・精神・生活などに対する従来の封建的儒教的な規定観念に反抗し、客観的で実証的な学風を新風として吹き込んだのである。

 松平定信は、幕藩体制の構造がきしみ出すなか、幕府の統制を強化し、危機的財政を立て直そうと取り組んだ。それこそ農村の再興、本百姓の経営維持、備荒(びこう)策、市場や学問の統制、地方役人の機構などの改革であった。いよいよ定信の登場である。

(福島大名誉教授)


磯崎 康彦

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幕府が鋳造した二朱銀

【2008年6月25日付】
 

 

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