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  【 会津の天才連歌師TOP 】
 猪苗代湖の美しさに魅せられて 
 
 ご神像に選ばれた地


 猪苗代と言えば、磐梯山と湖、そして野口英世を思い浮かべる人が多いだろう。猪苗代湖には、山潟と小平潟(こびらがた)、そして三城潟の3つの潟がある。三城潟は野口英世が生まれたところで、そこにある英世の生家と記念館は現在でも多くの人が訪れている。2004(平成16)年に1000円札の顔として登場してからは、野口英世を知らない日本人は少ないだろう。

 小平潟には天満宮が祀(まつ)られており、948年勧請(かんじょう)(道真公の御霊(みたま)をうつし祀ったこと)という大変歴史ある天神様である。この小平潟にも偉人が生まれたのだが、その人については地元でさえ知る人は稀(まれ)なのだ。500年以上も昔の中世という時代に、日本を代表する詩人の一人として名を馳はせた人物である。

 猪苗代兼載(けんさい)というその連歌師が亡くなって、今年はちょうど500年目に相当する。この記念すべき年に、兼載の生涯と、いかに優れた文化人であったかということに言及することで、少しでも多くの人々に、この偉人の業績を伝えたいと願っている。

 この猪苗代兼載が、野口英世とも関(かか)わりがあるとしたら、そして猪苗代湖の美しさに魅せられて祀られたという小平潟天満宮が、2人の偉人の歴史的偉業のルーツになっていたとしたら、我々(われわれ)はこの湖に今まで以上の神秘と親しみを感じるに違いない。

 ■神を引き寄せた湖

 学問の神様とされる天神様は、菅原道真を祀った神社であり、全国に約1万2000社もあると言われている。こうした天神信仰の中心の一つが、京都の北野天満宮である。

 北野天満宮は、天暦元(947)年が創建の年とされる。この創建にあたり京都の仏師が尊い方の命を受け、道真公のご神像を造ったが、小さかったので、北野社に納めることができず、そのまま家に祀っていた。すると摂津国須磨(現在の神戸市須磨区)の人が都に来てこのご神像を願いうけ、家の張台(四方にとばりをめぐらした台座)に安置し、朝夕に拝んでいた。

 そこへ、近江国(現在の滋賀県)比良神社の神良種という神主がやって来て、杯を持ち「須磨で飲むこそ濁り酒なれ」と、濁り酒を飲んだところ、「この浦は波高ければうち越して」と、美しい声が張台の奥から聞こえてきた。良種は不思議に思って張台の奥を見ると、道真のご神像だけで誰もいない。今の歌は、道真公が詠んだご神詠と悟った良種は、ご神像を願い受けてそれを背負い、諸国を巡り歩いた。

 会津に入り猪苗代湖畔に足を休めて風光明媚(めいび)な湖の景色に心を奪われているうちに、日が暮れてしまい、立ち上がろうとすると背中のご神像が急に重くなり動けない。良種は、道真公がこの地を選ばれたのだと察し、村人と相談して郡の役人へ願い出て、翌年の天暦2(948)年6月25日この地へ道真公のご神像を安置し、その霊を祀った。

 これが小平潟天満宮であると、『小平潟天神縁起』に書かれている。

 それゆえ、小平潟天満宮と北野天満宮のご神体は、大きさの違いこそあれ、ほぼ同時期に造られた、いわば兄弟像のようなものだということになる。

 ところで小平潟村は、湖につき出た洲崎となっていることから当時小出方村と称したが、摂津平潟(現在の大阪府枚方)をしのんで、小平潟に改めたと、先ほどの『小平潟天神縁起』には伝えられている。もともとは村の東側に祀られていたが、天和2(1682)年、会津藩3代藩主松平正容によって、現在の地へ遷うつされた。また、ご神像を背負ってきた良種が、須磨の浦から杖(つえ)にしてきた梅の木を小平潟天満宮の地に挿したところ、そのまま根付き大きな樹となった。これは幹に実の成る「幹の梅」と呼ばれたと言う。

 「幹の梅」は現在も小平潟村の東(旧天満宮跡)に残っている。

 この「幹の梅」を会津藩初代藩主保科正之は寛文10(1670)年、神木として次のような和歌を詠んでいる。

 「千早振る雪にも匂ふ幹の梅の葉をしらざりし天津神がき」

 かなりの老木であるため現在では実の成ることは殆(ほとん)どないが、榊原源隆氏の『猪苗代兼載』によると平成15年に三箇の実が見られたそうだ。その年は、菅原道真公1100年遠忌の年で不思議な現象だとも述べられている。


会津の天才連歌師 猪苗代兼載没後500年記念

戸田 純子

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古くから多くの人を魅了してきた美しい猪苗代湖の風景

【2009年6月3日付】
 

 

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