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 北野天満宮創建と良種 
 
 天神のお告げで御霊祀る


 さて、北野天満宮創建の話へ戻りたい。『北野天神縁起』には、天慶5(942)年、西の京に住む多治比の娘・文子(あやこ)(奇子とも書く)に、右近の馬場に祠ほこら)を結ぶようにとの天神のお告げがあった。しかし彼女は身分の卑しさに遠慮して社殿を造ることができず、自宅近くに祠を祀(まつ)っていた。

 天慶9(946)年、近江国比良宮の神官、神良種(みわのよしたね)の子、太郎丸にも同じく右近の馬場へ祠を建てよとのお告げがあった。良種は我(わ)が子にのり移った天神のお告げを聞き、京の多治比、文子らに協力し、近くの寺院の僧侶たちの協力を得て、翌天暦元(947)年、北野の地に道真の御霊(みたま)を祀ったとされる。

 つまり神良種は、北野社創建のカギを握る人物であったばかりでなく、小平潟天満宮勧請(かんじょう)の中心的な役割を果たしていたのだ。

 さらに詳しい内容が『天満宮託宣記』に次のように書かれている。

 近江国比良宮の神官、神良種の子で7歳の太郎丸を通じて天神のお告げがあった。「天神はすでに比良宮内若宮に祀られているが、さらに天神像を造らせたい。天神は悪人に対しては災難をもたらすが不慮(ふりょ)の不運にみまわれた人には救いを与える。風光明媚(めいび)な場所にまつられることを好むが、京都北野に移りたい。*道真生前は朝廷への勤めを優先し、天台への寄付を怠ったが、これが気がかりなので、改めて法華三昧堂を建ててもらいたい」

 後半の(*の部分)記載は、北野天満宮創建に関(かか)わった僧侶に、天台宗朝日寺の住職最鎮らがおり、最鎮の手による『最鎮記文』には、太郎丸にのり移った神のお告げが、神良種によって最鎮のもとへ伝えられたとあり、恐らくは最鎮自身が手を加えて文章にしたのではないかと思われる。冒頭の「天神はすでに比良宮内若宮に祀られている」という部分にも注目したい。江戸時代にまとめられた地誌『近江国輿地志略』にも、北比良村の天満神社は、北野天満宮が創建される以前からあったとされている。

 それでは比良宮は、天満神社と同一のものなのだろうか。『志賀町誌』第一巻には、比良宮を白鬚(しらひげ)神社とする説を妥当とし、神良種は白鬚神社の神官であったと考えられている。

 北比良天満神社と白鬚神社は現存しており、ともに滋賀県を代表する神社である。北比良神社は、JR比良駅から比良山系へ500メートルほど行ったところに天満宮が鎮座している。鳥居から湖面へ下るように1キロほど、道が真っすぐ延びていて、かつての参道を彷彿(ほうふつ)とさせる。その道を湖岸へ下ると、汀(なぎさ)近くにもう一つの大鳥居が建ち、その手前には「天満宮御旅所」の社(やしろ)が祀ってある。江戸時代に書き写したとされる『比良天満宮縁起絵巻』は、奇子託宣(たくせん)(あやこに託された神のお告げ)・太郎丸託宣・北野社創建・比良社勧請等から構成されたもので、太郎丸託宣の場面には、天満宮の鳥居が湖畔近くに描かれている。

 一方白鬚神社は近江最古の大社で、別に比良明神とも呼ばれている由緒ある神社である。琵琶湖のすぐそばに鎮座し、鳥居は青々とした湖中にあるため、景観も素晴らしい。祭神は「猿田彦大神」で『古事記』にも『日本書紀』にも登場する、鼻の長い天狗(てんぐ)のもととなった神である。この神は『古事記』において、天孫降臨の道案内をした「導きの神」であり、また『石山寺縁起』の中で、石山寺をかの地へと良辨僧正に告げたのも、この比良明神であった。

 これらのことから、奇子への託宣が叶(かな)えられないでいた道真の霊を「導きの神」である比良明神が引き入れたとしても不思議ではない。太郎丸への託宣を良種が聞きつけ、京に赴き、天台宗朝日寺の最鎮らに訴え、北野社創建にこぎつけたのは、あるいは「導きの神」のなせる業だったのかもしれない。

 良種は神職に携わる者として、託宣をうけたこの地にも天神の祠をまつるに至ったのではないか。初めは白鬚神社に若宮としてまつられたのが、次第に比良の地が天台宗勢力下に入ることで切り離されて、今の北比良天満神社になったのではないかと考えられる。

 


会津の天才連歌師 猪苗代兼載没後500年記念

戸田 純子

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北野天満宮創建と良種
神良種と多治比の文子らによって創建されたと伝えられる北野天満宮

【2009年6月10日付】
 

 

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