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  【 会津の天才連歌師TOP 】
 清澄な自然美を詠う 
 
 故郷での足跡をたどる


  故郷の会津を三十余年ぶりに訪れた兼載は、冬の湖を次のように詠んでいる。

 山は雪 海は氷を
 かゞみかな

 冬期にふるさとで詠んだとされているのは、今のところこの一句しかない。

 猪苗代湖は豪雪の年でもないと湖面に氷が張ることはめったにないが、昔は毎年雪が多かったそうなので、この時も相当の積雪であったと想像される。

 磐梯山の稜線(りょうせん)を境に青空と白銀に分かれた二色の壮大な世界が眼前にあり、湖面の氷が鏡のように輝くほど、頭上には陽光がみなぎっている。

 冬の寒さにしんと静まりかえり、いかにも閉ざされた感じのする景勝の地が、近づく春を思わせる陽光に照らされて、一層静寂な自然美を造り上げているのである。

 わずか六歳で故郷を離れなければならなかった幼い兼載は、預けられた自在院では周囲の嫉(そね)みに傷つけられた。望郷の念の中には辛い過去と共にこみあげる複雑な想(おも)いも抱いていたであろう。しかし、再び故郷のこの景色を目の前にした時、彼の心に湧(わ)き起こったのは、今も変わらぬ大自然の美しさを素直に賞玩(しょうがん)できた喜びではなかったろうか。

 みぬ人に何とや言わん
 いははしの猪苗代なる
 みづうみの空

 これも三十数年ぶりの故郷を詠んだ兼載の歌である。

 広さも透明度も我(わ)が国有数の猪苗代湖の湖中に、つき出たような洲崎に鎮座した小平潟(こびらかた)天満宮。秀峰磐梯山を鮮やかに映し出すこの浜辺にたたずみ、周囲の景物が鏡のように映える湖のさざ波を聞きながら、陽(ひ)にきらめく沖を眺めていると、時の経(た)つのも忘れるほど清澄な自然美と一体になってしまう。

 この感動は、この浜辺に立つ人間でなければ味わえないと、兼載は詠(うた)うのである。

 はるか昔に、この浜辺でやはり目を奪われた神良種、そしてその背にあって動けなくなった道真公のご神像も、きっと同じ感動に包まれていたにちがいない。

 猪苗代兼載の足跡を、長年に渡ってたどってきたのは、筆者自身も小平潟に生まれたからである。

 私の生家は、小平潟の旧家で、江戸時代の古文書なども残っており、磐梯山や天神社、幹の梅、兼載碑や加和里(かわり)御前などが描かれた15枚の絵画も保存されていた。色のついたその絵の一枚一枚には和歌が詠まれ、詠み手の名前まで書かれていたのである。

 この絵がきっかけだったかははっきりしないが、学生時代に父から猪苗代兼載という連歌師の名前を聞かされ、地元の「兼載」研究家でもあった佐藤愛二氏著『小平潟天満宮』の冊子を父から与えられて兼載を知ったのである。

 大学では連歌研究の第一人者である奥田勲教授に出会い、ご教示を受けるに至った。

 連歌の世界でひときわ光芒(こうぼう)を放っている兼載の業績に触れるに従い、この偉人が生まれて過ごした故郷での足跡に興味を抱いたのである。奥田教授と共に小平潟や会津若松市の兼載ゆかりの場所を訪れ、現地に赴くことの意義を始めて学んだ。そして、会津図書館で、猪苗代兼載に関する貴重な資料を見つけることができたのである。特に上野白浜子氏・林毅氏編『猪苗代兼載年譜』には目を見張った。

 これほど詳細に「兼載」について研究を続けられた先人が、「兼載四百五拾年記念」として上梓(じょうし)されたその「年譜」から、かつて郷土に興った「兼載熱」のようなものが伝わってきたのだ。


会津の天才連歌師 猪苗代兼載没後500年記念

戸田 純子

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清澄な自然美を詠う
道真公も良種も、そして兼載も心奪われた猪苗代湖の景色

【2009年11月4日付】
 

 

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