回想の戦後70年 歌謡編−(6)キセキ

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歌謡編−(6)キセキ

GReeeeNの扉のモニュメントに思いを寄せる(左から)矢田部さん、山口さん、椎根さん=JR郡山駅前西口広場

 歯科医師を目指し、県外から郡山市の大学に入った男子学生4人が結成したボーカルグループ「GReeeeN(グリーン)」。2007(平成19)年のメジャーデビュー時から素顔は謎のベールに包まれ、郡山を拠点に数々のヒット曲を世に送り出す点でも異色だった。08年には後に代表曲となる「キセキ」を発表。鮮烈なメロディーにのせ、聴く人に勇気を与えるメッセージとエネルギッシュなボーカルが一気に全国的な支持を獲得した。

 「背中を押してくれる。そんな力が曲にある」。郡山市の主婦矢田部友紀さん(39)が、同グループのファンとしてブログを始めたのも08年。「メンバーは郡山在住」と聞き、身近にも感じた。郡山から音楽発信する挑戦に「同じ郡山で暮らすファンも情報発信する役目がある気がした」と振り返る。

 「キセキ」のヒットで矢田部さんのブログの閲覧数は急増、ブログ仲間は全国に広がった。30〜40代女性を中心に郡山を訪れるブログ仲間を、GReeeeNゆかりの地に案内した。メンバーがブログに載せた郡山や猪苗代の風景写真と同じ場所を訪れ、感動を共有。「メンバーの人柄に魅せられた人が多かった」。地域や立場の違いを超えて共鳴できた。

 矢田部さんが郡山を訪れたファンを必ず案内する場所がある。JR郡山駅西口広場に09年完成したGReeeeNの扉型のモニュメントだ。メンバーが出会った郡山はGReeeeNの故郷、ファンの"聖地"でもある。

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 70年前の4月、郡山駅周辺は米軍爆撃機による郡山大空襲に見舞われた。軍事工場などで勤労動員された若者ら多くの命が奪われた。しかし、郡山市民は戦後、焦土の中から懸命の復興を試みる。新しいまちづくりに汗する市民の希望となったのが、音楽だった。

 1954(昭和29)年にはNHK交響楽団を国鉄郡山工場の大食堂に招いて4千人を集めるコンサートが実現。新産業都市指定(64年)や市町村合併(65年)を挟んだ高度経済成長期には「東北のウィーンへ」の掛け声の下、明るい街づくりを進めた。「10万人のコーラス運動」は映画のモデルになり、音楽都市の名を全国に広げた。

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 多彩な音楽文化が交わった郡山の玄関口、郡山駅の前にGReeeeNのモニュメントはある。「楽都郡山」の新たなシンボルだ。

 インディーズ時代のメンバーが駅前のライブハウス「CLUB#9(シャープナイン)」を訪ねてきたのは、メジャーデビューの2年ほど前。同社長福井公伸さん(52)は「抜群に曲が良かった。自主制作CDも質が高く、可能性を感じた」と回顧する。「世間には閉塞(へいそく)感が漂っていた。GReeeeNの曲は、多くの人が待ち望んでいた音楽だったに違いない」

 「キセキ」がヒットした08年から、地元の応援に感謝するメンバー4人と、郡山青年会議所(JC)とが協力し、駅前のモニュメント建立に取り組んだ。同JC理事長だった山口松之進さん(45)、担当委員長椎根聡人さん(41)はメンバーと直接話し合った当時の光景を思い出す。

 「郡山の夕日は、とてもきれいです」。メンバーからの言葉に、山口さんは「地元の人が気付かない郡山の魅力を教えてくれ、胸が熱くなった」という。

 モニュメントを訪れた人は、緑色の扉の向こう側に新しい一歩を踏み出す。扉の近くに設置されたプレートには「自ら扉を開け、歩き出して行こう!!」というGReeeeNのメッセージが刻まれている。椎根さんは「多くの人を勇気づけてくれた」とメンバーの功績を語る。

 「キセキ」は今年4月から郡山駅新幹線ホームの発車メロディーとして流れている。JRグループなどによる大型観光企画「ふくしまデスティネーションキャンペーン」(今年4〜6月)盛り上げのため、郡山JCなどがGReeeeNに協力してもらった。「郡山をグループの故郷として思いやってくれるメンバーの厚意を、ずっと大切にしていきたい」と山口さんは力を込めた。

 キセキ 2008(平成20)年5月に発売。同年放送の高校野球を舞台にした人気テレビドラマ「ROOKIES(ルーキーズ)」の主題歌に採用され、大ヒットした。この曲を収録したセカンドアルバム「あっ、ども。おひさしぶりです。」もミリオンセラーに。09年の第81回選抜高校野球大会で、開会式入場行進曲になった。