回想の戦後70年 漫画・特撮編−(2)漫画の神様

 
漫画・特撮編−(2)漫画の神様

「ハクション大魔王」や「ヤッターマン」など愛すべきキャラクターたちのパネルの前で笑顔を見せる笹川さん=東京・タツノコプロ本社

 戦後間もなく、彗星(すいせい)のように現れた漫画家手塚治虫(おさむ)の作品に子どもたちは魅了された。藤子不二雄、石ノ森章太郎、松本零士--。手塚作品をむさぼるように読み、憧れ、そして漫画家になった漫画少年たち。県内にも「漫画の神様」と呼ばれた手塚に憧れて漫画の虫になり、漫画家を目指した少年たちがいた。

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 中学卒業後、地元の会津若松市の漆器店で修業していた笹川ひろしさん(79)=アニメーション監督、タツノコプロ顧問=がようやく職人として認められた1955(昭和30)年。漫画本などを貸し出す「貸本屋」は、若者たちの身近な娯楽だった。19歳の笹川さんも毎日、仕事が終わると貸本屋に通い、手塚の漫画を読みあさった。

 手塚に憧れた笹川さんは長編漫画を描き始める。全国から投稿漫画を募って漫画界への登竜門となっていた学童社の雑誌「漫画少年」に何度も投稿したが、入選することはなかった。

 「福島県の会津若松。こんな田舎から漫画家になるにはどうしたらいいのか」。笹川さんは答えを見つけられず、雑誌に載っていた手塚の住所に自分の原稿を直接送った。10ページ、20ページの作品から100ページにも及ぶ大作まで、地道に送り続けた。

 翌56年。思いが通じたのか、手塚から「一度会いたい」と手紙が届く。笹川さんは高鳴る胸を抑え、東京の手塚のアパートを訪れると、手塚は「全部読んでますよ。もしよかったら上京して、私のアシスタントをしながら勉強してみませんか」と言ってくれた。世の中は高度経済成長が始まろうとしていた。

 笹川さんは1年後に上京、手塚の専属アシスタント第1号になる。さらに漫画家デビューを果たし、アニメの世界に転向、タツノコプロ創立に関わり、同プロで「タイムボカンシリーズ」など人気アニメを次々に生み出していった。

 タイムボカンシリーズで登場する「三悪」たちや、子どもたちが喜んでまねをするギャグなど、マンネリを逆手に取った演出が笹川さんの代名詞となっていく。登場するメカが玩具になり、玩具メーカーからも登場メカへの提案が出るなど、漫画・アニメの本格ビジネス化で先駆けとなっていく。

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 会津美里町の銀行員白井祥隆さん(64)も手塚に憧れ、漫画家を夢見た少年だった。会津若松市の支店に務めていた2000(平成12)年、支店長から「会津を元気にできることはないか」と聞かれた。「手塚さんが3度も会津に来ていたことが思い浮かんだ」

 手塚は59年、初めて会津を訪れ、東山温泉では連載中だった「スリル博士」を執筆している。72年には漫画家仲間たちと、75年にも家族旅行で会津を訪ねていた。手塚を追い掛けた笹川さんが会津若松出身だった縁で、手塚と会津との絆が生まれた。白井さんは地域活性化策として、その関係を本にまとめた。

 白井さんは現在、昭和30年代の漫画や手塚の写真、手紙、色紙、笹川さんから譲られたデビュー前の原稿など約千点を集め、自宅に漫画や映画の記念館を開設しようと準備中だ。「昭和30年代、映画『ALWAYS三丁目の夕日』のような時代に私たちは育った。街にはまだあちこちに戦争の断片が残っていた」。継ぎをあてた靴下をはき、脱脂粉乳を飲んだ。貧しい時代だった。一方で、手塚の漫画は未来を創造していた。「今は貧乏でも、将来はこんな世の中になるんだ--と希望が持てた」

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 「やっぱり手塚さんは日本の漫画・アニメのルーツ。僕たち多くの同年代の漫画家がみんな手塚さんを追い掛け、今では漫画が市民権を得て、巨大な産業にもなっている」と師に思いをはせる笹川さん。手塚と笹川さんと会津との絆に光を当てた白井さん。戦後の少年たちを夢中にさせた「漫画の神様」の創造力が、今や日本の売りとなった漫画・アニメ文化「クールジャパン」の原点だと、二人は信じている。

 笹川 ひろしさん(ささがわ・ひろし) 1936(昭和11)年、会津若松市生まれ。中学を卒業後、地元の三義漆器店に就職する。57年、上京し手塚のアシスタント第1号に。58年、「探偵学校」で漫画家デビュー。64年、タツノコプロ入社。「宇宙エース」「マッハGoGoGo」「ハクション大魔王」「新造人間キャシャーン」「タイムボカンシリーズ」などの監督や総監督を務める。2009年、会津親善大使。10年には同市の観光キャラクター「お城ボくん」をデザインした。

 漫画の神様 生涯に約15万枚の原稿を執筆し、漫画を文化の一つに成長させた手塚治虫(1928〜89年)をたたえた言葉。大阪府豊中市で生まれた手塚は、医学の道を志して医学博士になるが、少年時代から漫画を描いては評判を得る才能があり、学生時代からプロデビュー。卒業後は本格的に漫画家、アニメーション作家として活躍する。「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」「リボンの騎士」「ブラック・ジャック」「ブッダ」「アドルフに告ぐ」などヒット作を次々と生み出した。89(平成元)年に胃がんで60年の生涯を終えるまで、第一線で漫画を描き続けた。