回想の戦後70年 スポーツ編−(2)3県共催で国体

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スポーツ編−(2)3県共催で国体

現在の信夫ケ丘競技場。小学生の陸上記録会や高校のラグビー大会、東日本女子駅伝など幅広い用途で使われ、県民から親しまれている=福島市

 1952(昭和27)年10月、戦後の混乱がまだ色濃い本県で、当時としては国内最大級のイベントが開かれた。第7回国民体育大会秋季大会。本県、宮城、山形の3県の共同開催だった。

 この年は4月にサンフランシスコ講和条約が発効、日本は米国、英国などと国交を回復した。45年9月2日に米戦艦ミズーリの甲板上でポツダム宣言に調印、無条件降伏が世界に告知されてから6年半にして、日本は独立を取り戻し国際社会へ復帰した。5月には国際通貨基金(IMF)や世界銀行(国際復興開発銀行)への加盟も承認された。

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 第7回国体は独立後で初めての開催で、まだ米占領下の沖縄も初参加するなど、それまでにない盛り上がりを見せた。

 国体は、敗戦で沈んだ国民の心を奮い立たせる方策として第1回大会が46年11月、戦災を比較的受けなかった京都などで開かれた。

 第7回国体が3県共催となった最大の理由は、各県とも敗戦からの復興途上で、単独開催できるだけの財政力も競技施設もなかったためだ。県高校体育連盟会長、国見町教育長などを務めた斎藤久さん(83)=福島市=は「大会に出場した際、自分の食事をするにもコメを持参した時代だった」と、食糧事情がまだ十分でなかった当時について解説する。

 共催だけに人気競技の誘致合戦は激しく、陸上競技は仙台市に決まった。本県はせめて天皇、皇后両陛下が出席する開会式だけでも福島市で開催をと主張。紆余(うよ)曲折を経て開・閉会式会場は福島市に決まった。

 国体開催を控え、県内でも各競技施設が一斉に整備された。開・閉会式会場となった福島市の信夫ケ丘競技場は、国体前年の51年に整備された。旧制中学時代から陸上競技をしていた斎藤さんは「早く完成してほしくて、工事の進行を楽しみに見ていた」という。

 県内では15種目が行われた。馬術競技はその一つ。県馬術連盟副会長の佐藤伝一さん(78)=伊達市=は「国体が馬術を始めるきっかけだった」と語る。佐藤さんは福島農蚕(現福島明成)高の1年生だった。

 馬術競技の会場は福島市の福島競馬場。しかし、会場は決まっていても、当時は馬術に取り組む高校が少なく、事務局が出場する高校生を探していた。佐藤さんは、自宅が馬の家畜商を営み、小さいころから乗馬の経験を積んできたことから、自ら国体出場を申し出て選抜され、本格的に馬術を始めた。

 入学間もない4月から練習を始めたが、県から割り当てられた馬は着地の際に癖があり、佐藤さんは毎日、練習で倒れては顔にけがをして帰宅した。見かねた祖父は、別の馬を農家から買い取り、佐藤さんに与えた。兵隊より馬が大切にされたといわれた戦時中に陸軍将校が乗っていた馬が、生き残っていた。

 この馬は素直で乗りやすく、教官に調教してもらいながら着々と練習を積んだ。高校生ながら一般の部に出場し中障害飛越で見事、8位入賞を果たす。高校生が一般の部で入賞するのは初めての快挙だった。その翌年、県馬術連盟が発足した。

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 「全国大会がほとんどない時代に、国内各地から選手が来るのは刺激的だった。自分もぜひ出たいと思った」と斎藤さんは振り返る。その言葉通り、斎藤さんも後に陸上で国体に2度出場を果たした。

 敗戦と混乱の苦しみを乗り越え、スポーツを楽しむ喜びが芽生えた時代。第7回国体は県民を勇気づけ、競技力の向上に貢献、その後に本県スポーツ界が前進する基礎になった。

 43年後の95(平成7)年、本県関係者が待ち望んだ単独開催の国体が県内で開かれた。しかも冬季、夏季、秋季大会を1県で開く「完全国体」。阪神大震災や地下鉄サリン事件があった混迷の年でもアスリートは全国から集い、復興に向け励まし合った。本県は男女総合、女子総合とも1位となり、天皇杯、皇后杯を手にした。

 信夫ケ丘競技場 福島市の日本陸上競技連盟第3種公認競技場で、メーンスタンド、バックスタンドで計1万6400人収容。第7回国体に向けて1951(昭和26)年8月に完成。県営だったが、74年に福島市に移管された。78年に本県を中心に開かれた全国高校総合体育大会を前に改修され、競技会場として使用された。2011(平成23)〜12年に摩耗や損傷が進んでいたトラック部分を全面改修、除染のためフィールドの芝を張り替えた。現在は陸上やラグビーの大会など多彩な競技で使われている。

 第7回国民体育大会秋季大会 1952(昭和27)年10月19〜23日に開催。選手、役員合わせて2万711人が参加した。競技は本県、宮城、山形の3県の各会場に分散し、このうち本県では福島、郡山、会津若松など5市1町1村で馬術など15種目を実施した。福島市で行われた開会式には昭和天皇、香淳皇后も出席し約3万人が詰め掛けた。本県の成績は、男女総合(天皇杯)で10位、女子(皇后杯)は19位だった。