【幸田露伴文学碑】 ペンネームにつながる句

 
「露伴」というペンネームのもとになった言われている句が刻まれている文学碑

 二本松市の亀谷(かめがい)坂を上った所に「幸田露伴文学碑(こうだろはんぶんがくひ)」があります。

 幸田露伴は明治時代の有名な小説家です。碑には「里遠し いざ露(つゆ)と寝(ね)ん 草まくら」と記されています。「露伴」というペンネームのもとになった句(く)と言われています。

 文学に対する夢(ゆめ)を捨(す)てられず、北海道から実家の東京へ向かう途中(とちゅう)の1887(明治20)年9月、亀谷坂にたどり着き、詠(よ)んだとも言われています。

 露伴は、旅費節約のため福島から郡山まで夜通し歩こうとしたようです。

 坂頂上(ちょうじょう)の店で「阿部川餅(あべかわもち)」を買って食べ、歩き続けようとしましたが、体力、気力ともにもたず、道の端(はし)に体を横たえ、休んだようです。

 碑は2008年、亀谷まちづくり協議会が建てました。碑から坂を少し下がった所にあり、地域(ちいき)のNPO法人が運営(うんえい)する「露伴亭(てい)」という店では阿部川餅を再現(さいげん)しています。市民の憩(いこ)いの場であり、観光客にも一休みできる場所として人気です。

 【どこで?】幸田露伴文学碑(こうだろはんぶんがくひ) 二本松市亀谷(かめがい)1丁目。二本松インターチェンジから車で5分ほど。

みんゆうジュニア情報局