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  【 会津の華は凜としてTOP 】
 八重が娘子軍と再会 
 
 菊子らに鉄砲貸す 白虎隊同様洋装で狙撃


 籠城戦6日目の慶応4(1868)年8月28日、娘子軍(じょうしぐん)は、西出丸から鶴ケ城に入った。

 中野こう子ら5人は、城に入った夜、藩主松平容保(かたもり)公と面会が叶(かな)っている。水島(依田)菊子の『会津婦女隊従軍の思ひ出』には、「私共婦女隊一同は、鉄門(くろがねもん)に居られた殿様に御目にかかりました。丁度(ちょうど)夜分の事でしたが、殿様には『よくお前達、女子でも働いて呉(く)れた』と仰せられて、御側(おそば)に高く盛り上げてあつた立派なお菓子、径二、三寸もあろうと云(い)ふ結構な御菓子を五個宛(ずつ)も戴(いただ)きました」とある。

 夜半にも関わらず、容保公は直接労(ねぎら)いの言葉を掛け、入城した娘子軍全員に菓子を賜った。『会津戊辰戦争』には、「柿の実」が渡されたとあり、柿のような菓子か、菓子とは別に柿の実を贈ったのかもしれない。

 同じく『会津戊辰戦争』には「入城すると直(す)ぐ鯉(こい)を献上いたし、黒鉄門(くろがねもん)にて殿様に拝謁(はいえつ)を賜はり(以下略)」と、娘子軍が鯉を持参したと記す。数は7匹であった。城内には、タンパク質となる食糧が少なく、そのため、籠城中も敵の居ない場所を狙っては城下に出掛け、武家屋敷の池から蚊帳を使って、鯉を捕り城内に持ち帰ったほどだった。城下に進攻した新政府軍も同じように、屋敷の池から鯉を捕って食糧にしていた。

 娘子軍のメンバーは、久しぶりに八重と再会した。前述したように菊子は「山本八重子さんも入城して居られまして、八重子様は妾(わたし)に鉄砲を貸してくださいました」と、八重から鉄砲を借り受けている。その鉄砲は、約4キロあるゲベール銃のようだ。女子ではなかなか持てない重さで、鉄砲の扱い方を知らない者に急に貸し与えても使用できない。そのため、鉄砲を貸し与えられた娘子軍の菊子と中野優子は、扱い方を知っていたと思われる。

 菊子は続けて、「八重子さんより借りた鉄砲にて敵を狙撃して居ました。其外(そのほか)には各方面へ弾薬の運搬をして居ましたが、妾と優子さんは男装をして年齢も若くあつたので、白虎隊と間違つて居られました。其御蔭(おかげ)で開城の時にも男子同様外部の御用をもつとめて居ました」

 菊子と優子は、白虎隊と同じ黒の洋装に着替えていた。八重と共に狙撃もし、断髪していたため、女子とは分からなかったようである。籠城戦の初期は、照姫の御用を務めながらも、御用がない時は、男子が少ないため、狙撃のできる者は女子といえども駆り出されたようだ。

 なお、『会津婦女隊従軍の思ひ出』には、入城後、照姫と会った時の様子を、「照姫様に引続いて御目にかかりましたが、この照姫様も実に御美しい方でしたが、狆(ちん)を大変御可愛(かわい)がりになつて居られまして、この時も御肩の上などに狆が負(お)ぶさりなどして居ました」とある。照姫は城内で狆を飼い、側に置いて大変可愛がっていた。


会津の華は凜として

会津古城研究会長   
   石田 明夫

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八重が娘子軍と再会
取り壊し前の鉄門(明治7年)。殿様は、弾が直接当たらないこの門にいた(個人蔵)

【2012年9月16日付】
 

 

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