【編集日記】(9月12日付)

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 長い間、狩猟や漁労、採集が食料獲得の中心だっただろう縄文時代の人々。やがて稲作技術が大陸から日本列島に入ってくる

 ▼稲の栽培のため、狩り場としていた丘陵や海辺などから低湿地の周辺に村ごと移動するようになった。だが、そこは湿気が多く、洪水の心配も絶えなかったはず―。手元の本には初期の稲作が始まった当時の様子がこのように描かれている

 ▼河川の流域では度重なる水害が起きただろう。地震列島でもある。大地が激しく揺れたこともあったはずだが自然的、社会的災害を乗り越えて今も営まれている地域、集落がある。これを「千年村」と呼ぶそうだ

 ▼東日本大震災の後に"壊れなかった村"に着目して始まった研究が「千年村プロジェクト」。これらの村に共通するのは「環境、集落構造、共同体という三位一体構造がバランスを保っていること」(「震災後に考える」早稲田大学・震災復興研究論集編集委員会)

 ▼阿武隈川の上流域にも災害をくぐり抜けた集落が残る。一帯に位置する白河市と西白河、石川両郡を対象に調査が始まった。先人の知恵と工夫が息づく集落に学び、未来につなげる取り組みだ。古里の復興に向けた新たな力となるかもしれない。