【編集日記】(11月11日付)

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 福島と飯坂の間で始まった自動車による営業運転のため客が減った、として人力車夫が自動車のタイヤを小刀で切り裂いた。1912(大正元)年8月14日付で本紙が報じている

 ▼同28日付では、本県の電気事業の"進歩"を伝えている。県内の電灯会社の数を挙げて"奥羽6県"中では本県が最も盛んなり、と記す。この年に、本紙は1895(明治28)年の創刊以来、5千号を迎えている

 ▼1万号に達したのは1927(昭和2)年。大正天皇が崩御したばかりで特別な紙面を企画せず、祝賀行事も自粛した。過去の記事を読むと、新聞は時代を映しながら読者とともに歩んできた、とつくづく感じる

 ▼折々の問題を論評する小欄も何度かの名称変更を経てきた。「天無口」と称したこともある。「天に口無し、人をもって言わしむ」に由来するのか。天はものを言わないが、人の口を通じて言わせる。そんな先輩たちの気概が伝わってくる

 ▼「編集日記」となったのは1949(昭和24)年7月1日付。その冒頭「常に真実を語ろう。真実のみを持ってこの紙面の隅々まで埋めよう。真実であることこそ、新聞の根幹であらねばならない」と書いた。4万号の節目に誓いを新たにする。