【4月18日付編集日記】鶴ケ城と熊本城

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 今から約400年前の1611(慶長16)年、会津地方をマグニチュード7ほどもある大地震が襲った。家屋の倒壊や山崩れなどにより、死者は3000人以上にも上ったという。当時、七層だった鶴ケ城の天守閣も傾くなど大きな被害を受けた

 ▼城の復興に取り組んだのは、震災後に伊予松山(愛媛県)から移ってきた会津藩主の加藤嘉明・明成の親子だった。天守閣が、現在のように五層になったのはこの時代のことだ

 ▼嘉明は、豊臣秀吉が柴田勝家を破った賤ケ岳(しずがたけ)の戦いで活躍した7人の武将「七本槍(しちほんやり)」の一人。その中には猛将・加藤清正もいた。熊本地震は、清正が築いた熊本城にも襲い掛かった。かつて難攻不落といわれた名城は今や、屋根瓦や石垣が崩れ、無残な姿をさらしている

 ▼熊本城の再建を願う募金活動が鶴ケ城で始まった。被災した熊本城の姿が戊辰戦争の砲撃で損壊した鶴ケ城の光景に通じるものがあるとして、鶴ケ城の管理団体が協力を呼び掛ける

 ▼長い歴史の中で、人々は災害や戦禍に翻弄(ほんろう)されながらも、そのたび辛抱強く立ち直ってきた。それは地域のシンボルである城が、何度も再建されてきた姿にも重なる。今度の震災も、きっと乗り越えられると信じたい。