【6月2日付編集日記】丹治会頭の言葉

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 1962年には1割強にすぎなかった乗用車需要に占める個人比率は、67年には約4割、70年には約5割へと急上昇した。日本のモータリゼーション確立期のことである

 ▼郡山市がいわき市とともに新産業都市「常磐・郡山地区」として指定されたのもこの時代、64年だった。その後、郡山市は工業都市として発展し、交通の要衝としての地位も築いて、東北有数の拠点都市に成長した

 ▼同時期の63年、モータリゼーションの到来を見越して自動車学校を創業。その傍ら経済人として郡山市の発展を支え続けてきた郡山商工会議所会頭の丹治一郎さんが亡くなった。県交通安全協会長や県中小企業家同友会初代理事長など要職を歴任した

 ▼丹治さんが会頭に就いたのは2007年。震災と原発事故の後は、経済県都・郡山の再生に力を注ぎ、震災で被災した商工会議所会館の再建も果たした。いま、郡山市は水素の生産・供給拠点やロボット産業の集積都市を目指して本県復興の先頭を走る

 ▼「住んでよし、訪れてよし」のまちづくり―。丹治さんが会頭に就任してから、よく口にしていた言葉は震災の後、さらに重みをもった。その理念はたくさんの人たちによって必ず引き継がれるはずだ。